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【雑記】絵本の表紙の色使いについて考える

   

 こんにちは!今日から3月だと思い込んでいたので、まだ2月があるなんて、なんだかありがたい1日となりそうです。

 

 今週は本を読むことよりも絵本の絵を眺めている時間の方が長かったので、今回は絵本の絵について書いていこうと思います。

 

 そこでちょっと触れておきたいのが、ブログを書いている中の人についてです。このおでん文庫のブログでは本にまつわる記事を書いている一方で、Instagram上では手描きの絵をマイペースに発信しています。絵を描くのが好きなのです。この絵を描くのが好きで尚且つ絵本が好き、という2つの要素を掛け合わせると、大体の人に絵本を描いているのか尋ねられることがあります。私もそういう人物が目の前にいたらおそらく同じことを尋ねるでしょう。ちょっとワクワクしますよね。ですが実際のところは、眉毛はハの字になり申し訳ない気持ちで、絵本を描くのは考えていない、とお返事しています。理由は本当につまらないことですが、絵本として描きたいと思うものが今のところ思い浮かばないというのがひとつと、もうひとつは圧倒的な技量不足です。絵本を描く気が無いのを理由にただただ絵の世界に浸って楽しむ、それでいいかなと思っていました。さらに正直に言ってしまうと、絵について掘り下げると自分の未熟さに気がづいて打ちのめされることが分かりきっているのであまり考えないようにしていました。

 

 そんな具合で絵本の絵については触らぬ神に…状態であったのですが、それでは駄目だと思う状況にもなってきました。きっかけとなったのは、お知り合いの赤ちゃんに絵本を紹介するようになったことからです。絵本を読んだ感想をお知り合いから教えていただくのがとても楽しみで、赤ちゃんの反応から発見もあり、ほんとうにありがたいです。

 

 ご迷惑でない限り絵本の紹介を続けていきたいと思う反面、相手がお知り合いとはいえ、赤ちゃんが面白いと思わない絵本ばかり選んでしまっては親に見限られてしまうプレッシャーをひっそりと背負い、そんな中で頼りになるのは良書として選ばれた絵本の資料のみ。何十年も読まれてきた絵本の中身の何が良いのか、自分の中で答えを持っていないといけないという危機感がじわりとやってきて、絵本の内容そして絵の方にも注目を向けることを始めました。

 

 ヒントを得るために、これまで読んできた児童文学に携わる方々の本を思い返すことがもちろん助けになっています。瀬田 貞二さんが絵の表現について言語化されていたのが理解の助けになったり、渡辺 茂男さんの子育て中の実体験を通したお話が腑に落ちたりとありました。松居 直さんの判断力からは、過去にどれだけの心がきらめく読書体験があったのだろう、と思い馳せます。

 

 そうした助けも借りながら、よくよく観察してみようと手に取ったのが、 H.A.レイの『ひとまねこざる』と、かこ さとしさんの『あさですよ よるですよ』でした。本来はこの話の流れで0~2才の赤ちゃんの絵本について考えるのがよいと思うのですが、手元に赤ちゃん向けの本が無かった…ので、今回は少し対象年齢を上げた2~5才あたりの絵本について書いていきます。

 

 上で取り上げた2冊を対比したときに、まず気になったポイントが色使いです。『ひとまねこざる』は表紙が鮮やかな赤・青・緑・黄色です。『あさですよ よるですよ』の表紙は白の余白がほとんどを占める中に、赤色と黄色の控え目なサイズの太陽のアイコン、紫から青そして緑のグラデーションの色玉と鮮やかな黄色の帯があります。どちらの絵本も色の配分は異なりますが、使用している色は、赤・青・緑・黄色が含まれており近いものがあります。このようにはっきりとした色使いで構成しているのが子どもに好ましいのかどうか、考えてみたいと思います。

 

 色というのを赤ちゃん~幼児にかけて触れて知っていくというのは、せな けいこさんの『このいろなあに』の赤ちゃん絵本で、色を認識していくというのが伺えます。そして自分の記憶で恐れ入りますが、幼稚園の頃には色数が多い色鉛筆に憧れを抱いていた記憶があるので、色の世界は年齢が上がるにつれて広がっていく一方なのではと想像します。そうなると、小さい頃からさまざまな色に触れていくことが感性を育てていくようも思えます。

 

 その一方で、色といえども多くの情報をたくさん浴びるというのは、頭が混乱もしくは疲弊してしまう可能性をはらんでいるのではとも考えます。例えば何か資格を取ろうと思ったときに、初心者向けの参考書だったり、学校に通学するなどをして、まずは基礎を学ぼうと考える人が多いと思います。資格の級が5級、4級、3級としているのも、学ぶ範囲を絞り、段階を追って知識を広げていくかたちを取っていることからだと考えます。

 

 多くのことを一気に身に付ける人もいるかもしれませんが、それは意識して行っていることなので尋常ではない集中力と努力があってだと思うので、よほどの心がけがなければ、普通の生活で情報があれこれ飛び交ったとしても、情報を受け止めきれず、右から左に受け流してしまうことの方が多いのではないかと思います。

 

 私自身は、格闘ゲームストリートファイターのボタン操作、上・上・下・B的なものが、何度説明書を読んでも全然覚えられず、最近ではモンスターハンタースプラトゥーンをする場合もコントローラーのボタンや十字キーを駆使するのに苦労し、ゲーム脳を鍛えられずにここまで来てしまいました。もっというと、ボタン操作よりも、ビジュアルを見る方が楽しく、そちらに意識がとられていました。そんな風に、戦いに集中しきれない…というと大げさかもしれませんが、分からない、知らないことがあると、簡単に気が逸れてしまう、という事態に陥ります。

 

 これが絵本でも同じく、頭が情報の処理が追い付かないと、集中力を欠いて気が逸れてしまうということが起こってしまうのではと考えました。お菓子の詰め合わせなら話は別ですが、色使い、内容、紙質など、すべてが最高なものを詰め込んだ絵本よりも、子どもにとって読みやすい、集中しやすい、何回も読みたくなる絵本は何かと考えたときに、必要以上のものを盛り込んでいない方がよい場合があるように思えてきます。

 

 色について、クレヨンのセットにあるような基本的な色をまずは認識する段階にいる幼児にとっては、知っている色が絵本の表紙にあると少なからず嬉しい気持ちもしくは興味がわいてくるように思います。最近では小さい頃からテレビやYoutubeなど映像を見る機会が多いので(自分はテレビっ子で育ちました)、もしかしたら分かりやすくすっきりとした色使いに物足りなさを感じる可能性があるのかなとも想像しますが、絵本を目の前に並べてどれを読みたいか尋ねた場合に、手に取りやすさのひとつの選択肢として、見知った色がある絵本な気がしています。そういう理由で、表紙で使われている色が限定されて尚且つ明瞭であるのは意味があるように思えます。想定の話ですみません。いつかきちんと検証してみなければなりませんね。

 

 今回は表紙についてつらつらと書きましたが、本文の色味となるとまた見え方が変わってきます。今回のように考えたことをつらつらと書いて大丈夫か少し心配もありつつ(もっと勉強してからの方がよいのかなと)、よく観察して、またそのうちに記事で書けたら思います。また次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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