
こんにちは!先週の木曜日の更新から今日まで、たった一週間とは思えないくらいじっくりと過ごした一週間でした。これから暑さも本格的になってくるので、みなさん身体を大事に過ごしていきましょうね。
本日はこちらの本について、自分の近況を交えて書いていこうと思います。
『あしながおじさん』
ジーン・ウェブスター 作 坪井 郁美 訳
https://www.fukuinkan.co.jp/book?id=156
物語の主人公は孤児院育ちのジェルーシャ(愛称はジュディー)です。国語の成績が飛び抜けてよかったことが、あしながおじさん(ジュディーがつけた愛称です)の目に留まり、大学に通うための資金の援助を受けることになります。これまでの孤児院での単調な日々から一転、夢と希望を持って大学へと進学し、作家になる夢を追いかけながら過ごす大学4年間の生活が始まります。
この本で特徴的なのが、手紙という形式で物語が描かれていることです。あしながおじさんが資金を援助する代わりにジュディーに出した条件が、自分宛てに近況を報告する手紙を書くことでした。そのために、ジュディーがおじさんに宛てた手紙というかたちで、何十通にも渡るメッセージが、ときにはジュディー画伯の素晴らしい挿絵付きで綴られています。
この本を読んだことのある方は、あしながおじさんの正体に途中で勘付いたでしょうか。私は、物語を追っているうちに既視感を感じ、もしかしたら過去に一度読んだことがあるのか(…)、察することができたのですが、正体が分かっていると、こそばゆくなるシーンがいくつもあり、初見よりも余計にくすぐったい気持ちを体験しました。しかし、大学に入ったばかりの頃の文面は無邪気でおてんばな印象だったジュディーが、在学中に20歳を過ぎ、最後の手紙では大人っぽくなって…。
ここから、ちょっと自分の体調のお話をするので、あまり耳に入れたくない方は、飛ばしていただけたらと思います。この本を読み終えたあと(前回の記事で)自分の体調不良の話を最後にちらっと書きましたが、そのとき、心のよりどころについて考えていました。自分事ですが、ここ数年の身体の悩みというのが肌荒れのことで、自分の中ではまあまあ深刻な悩みです。先日は、肌の腫れによって、初めてまぶたが機能しなくなるという体験をしました。片目だけだったのが幸いでしたが、目ヤニがずっと溜まり、目に入ったゴミか何かががずっと取れずにごろごろしたり、それが原因なのか視界もぼやけて困りました。視力が通常で1.5以上あるので、ぼやけた視界に余計不安も搔き立てられたものでした。これに加えて、いつものことになりますが、顔が赤くはれることで、終日、痒い、痛いで、集中力が全然持たず、夜も寝つけないという有様です。
ひどい状態のときには人と会うことが無い様にできるかぎり気をつけているので、会ったことがある人には姿が想像がつかないかもしれません。ひどいときは、あまり服用しない方が良いけれど効果の強い薬で症状を抑えています。その効果が切れると肌が荒れる、というサイクルが不規則で発生し、おおよそ毎月そんなことを繰り返している状況です。原因ははっきりとしておらず、でも、病院の先生からは複合的な原因があるのだろうと、例えば汗をかいたり、ストレス、アレルギー、そうした原因のちょっとずつが絡み合って症状となって出ている可能性があるのかも、と言われています。
この話がどう『あしながおじさん』に繋がるのかというと、ジュディーの生い立ちが孤児という立場であることが、どれだけ不安で孤独なものか、このとき考えていました。
自分の身に起こったこと、感情やなにかも、子どもの頃は少なからず親が見聞きしているものだと思います。そういう自分と他者とで共有できている環境が無い場合、人に話せず、また見栄を張ってしまうことで気づかれず、胸の内にため込んでしまうことがどんどん山積みとなってしまう気がします。ジュディーは、そうした話し相手が、あしながおじさんの登場によって初めて得られることになります。
ちなみに胸の内を出すというのは、なんだか石のような重たいものを外に出すのを自分は想像していました。どうでしょう。簡単に伝えられないことが胸の内にあります。しかし、自分にとって例えばその重たい気持ちを、同じ重みで相手に受け取ってほしいかというと、そんな重いものを人に持たせたくないはずです。いや、本音はちょっと相手に理解してほしい気持ちもあるかも?やっかいですね。そこでジュディーの素晴らしいなと思うところに、悲壮感を漂わすことなく、人生の目標と感謝の気持ちを忘れずに表現するところがあります。
『赤毛のアン』のアンは、悲しいことに対して想像力を働かせて自分を癒していたように思うのですが、ジュディーはネガティブなものからくる行動というよりも、ひとりで生きていくことを孤児院にいるころから意識し、自分の得意で仕事をしようと考えているので、ある意味で自立した面をみることができます。しかし一見明るくたくましくみえても、他人に孤児であることをそうそう打ち明けられない様子をみると、やっぱり考えていることはあるわけです。それでも、できることを一生懸命明るく取り組む姿、そして迎えた最後には、ほんとうに幸せな気持ちになりました。
自分は、この本を読んだのと体調不良のタイミングもあって、ジュディーがあしながおじさんに救われたこと以上に、ジュディーが自立して人と関わっていた面が強く印象に残りました。あしながおじさんが心のよりどころになっていたことも確かですが、ジュディーがしっかりと自分の意見を持っていて簡単に曲げないところをみると、自分とよく向き合ってきたように思え、あしながおじさんに会わない未来があったととしても、逆境にも負けずにたくましく生きていそうです。
そんなこんなで私も、最近は自分の問題と向き合うことで何か得るものがあるかもしれないという可能性を考えるようになり、今なら悲壮感なしに状況を人に伝えられる気がして、ちょっとこのブログで書くことにしてみました。
今回の体調不良のタイミングでは、自分が立ち上げたサークルの活動や、長年の友人と会う予定があり、いささかの義務感もありましたが、勇気を出して外に出ました。ぎこちなさは出てしまったかもしれませんが、普段と同じように人と交流できたことがありがたかったです。しかし同時に、人の話に耳を傾けるのも、忘れないようにと思いますね…!悩んでいるのは自分だけではないのです。
とにもかくにも、心のよりどころは、自分の場合は外に求めるよりもまずは、自分ですっくと立つ意識でやってみようと思います。それでは、次回もどうぞよろしくお願いします。
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