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【雑記】読んだことに甘えてる

 こんにちは!今日はむし暑かったですね。みなさん夏バテには気を付けてお過ごしくださいね。

 

 今回の雑記はここ最近の悩みです。タイトルにあるままのお話です。

 

 まず、読書をしてよかったことといえば、自分の中のものに説明がつけられるようになってきたことです。ぴったりとくる言葉に出会い腑に落ちるという経験、みなさんもあるでしょうか。

 

 自分の中にタイトルもしくは見出しのない経験や感情というのが、ゴロゴロと頭の中に転がり、頭の片隅で認識はしているけれど、いつ片づけるかは分からない部屋の隅に詰まれた荷物如く、だんだん荷物は増えていくが手つかずのあわや無法地帯となった一角に、ふいに読書という名の片付け得意さんが現れて、何だか分からなかったゴロゴロにピタリとくるラベリングをします。君にはこういう名前があるんだよと片付け得意さんに諭され、存在が認識される瞬間です。

 

 言葉にできなかった感情が本に書かれているときなんかは、どうしてこんなに気持ちが分かるんだー!と心の中で雄叫びます。勉強で分からないことを、何が分からないのか相手に説明できないときに、言いたかったことを汲み取ってくれる人のありがたさが身に染みたときと同じ感激です。上手く説明ができない、というもどかしさが読書をすることで少しづつ改善されている実感があります。

 

 以前は伝えるのを諦める、が先立ってしまい話すのが面倒になってしまったり、もしくは伝えたいと思うことがあれば、なんとこのゴロゴロが発生する発端、現場の説明をして、自分と同じ状況を伝えれば気持ちが理解してもらえるだろうと、現場の説明に奮闘していました。これは全くダメでした。いつも相手から、それってこういうこと?と聞き返されて確認があり、私は伝わってほっとしますが、相手からは面倒な人だと思われていたでしょう。

 

 伝えることを諦めずに、伝えてみようという意識に変わっていった。意思疎通に悩むもやもやから脱する一歩が踏み出せたと思っています。そして、変化に伴い新たな課題も出てきた、というのが今です。

 

 伝える言葉の真実味、実感がこもった言葉は伝わり方が違うのを、肌感で受け取り、耳に残る場合があります。身近では母親にそうしたところをずっと感じています。あとは、母と同い年で仲良しの美容師さんにも。

 

 伝える状況というのは、会話のキャッチボールをするのと、このブログで発信するのとは大きな違いがあります。ブログで発信している内容は本ありきなので、本と紐づいて話すことが書く側も、読んでいる側にも前提にあると了解しあえているはずです。私自身も、頭の中でラベリングした思考を書き出しているときに、横にはきっかけとなった本が寄り添っています。本の言葉を借りるだとかそういう寄りかかりではなくて、本をきっかけに考えを深堀するような読書感想文を心掛けており、それが本に寄りかかった伝わり方をしていなかったらよいなと思いながら書いています。

 

 これが会話になってくると、勝手が変わってきます。人生経験が濃厚だったり、頭の中のゴロゴロに磨きをかけている人の話は聞いていて面白い上に、独自の自論もあって、耳を傾けたくなります。

 

 ときに私が会話の内容に沿って、インターネットで見聞きした情報を話したときに、ふーんと反応する方は聞き方が違うなあと、私の方が反省することがあります。

 

 情報の共有は何か役に立つ場合もあるし、聞いた相手にゆだねる形で伝えることは特段止める必要はないと思います。しかし本になってくると、私の場合は情報を知る、というよりも感情や思考について知ることに興味が向きます。それが会話の話題で悩みごとや考えごとになったとき、読んだ本の内容がピンと思い浮かぶことがあります。これが、例えば自分の中のゴロゴロには無い内容で、しかし本で読んで知っている、そんな場合に悩ましいです。

 

 本で誰かのゴロゴロを知っているだけで分かった気にはなれないし、言葉にすると上っ面になってしまうんですよね。何か言うよりも、言わずに聞くだけがいいのかも、と。耳を傾けることの方がいいのかもしれない、なんて思います。悩みも考え事も本人にしか分からない世界があって、ある意味でかけがえのないものであるのかもと思います。

 

 ルポルタージュ、という言葉に興味が湧いたのは『カナダエスキモー (朝日文庫)』本多 勝一 著を読んでからのこと。現地に赴いて、現状を知り、主観ではなく客観で伝える姿勢。伝えるって、まずはその世界に自分も入り込んでいかなきゃダメだ。外野でがやがやしている人で終わるのじゃイヤだと、考えさせられました。

 

 そして、今読んでいるのが『移民の子どもの隣に座る 大阪・ミナミの「教室」から』 玉置 太郎 著です。個人的に昨年の秋ごろからボランティア活動を始めたので、その活動に本の内容がちょっとだけ重なるところがあるので、これまで読んだ本とは違った、この本の言葉と自分が発する言葉は、上っ面ではなくて、重なってくれる気がする、そんな風に思いました。しかし、今はこの本を読んでもっと自分にできること、考えたくなっています。

 

 これまで意気込んでいた本で知ったことで身近の誰かの力になれる、なんていうのはおごりかもなあと思い始め、読んだその先に目を向ける、そうした行動が伴う読書について考え始めました。

 

 ただ、本をこうしておすすめているうちに、誰かがその本に手を伸ばし、読んでみたら何かあるかもしれない、という期待はあり、その行動はまだまだ続けていきたいです。読んだその先、どうなっていくんだろう。

 

 ではでは、次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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