おでん文庫の本棚

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一生をかけるもの

 こんにちは!いつもブログの本文を書いてから、ここの挨拶を書いているのですが、今回の記事も紹介する本の前置きのような内容になりましたので先にお伝えです。最近は時差を考えるようになり、記事が1回きりではなくて、1週間の時間を置いてまた触れてみるのもいいのかなと。いつも試行錯誤です。

 

 さてさて今回紹介するのは、前回に続き写真家の本になります。

 

 『ノースウッズの森で』

 大竹 英洋 文・写真

 

 本を読むとき、目に留まった言葉を忘れないように、これまではスマホで写真を撮っていたのを、最近は手帳に書き移す方法へ移行するようになりました。すると、写真で撮るよりも書き留めておきたいことが次から次へと出てくる。同じページに、いくつもメモする文章が出てくるとなると、読み進めるにもいちいちくじいてしまっている。

 

 写真では時が経つにつれフォルダ内で埋もれてゆき、撮ったことを忘れてしまうため、という以上の特段の理由はなかったのですが、いざ書き始めると、言葉を自分の中に取り込もうと、手を動かすことで文字の書き方を覚えるように、動作で文字をモノにしようという働きかけが、多分、起きています。食事を、まるで掃除機みたいにがつがつと吸い込んで食べてしまうのと、メモを取るのがなんだか似ている、と思いながら。どうにも抗えない現象と化しています。

 

 覚えるのが苦手だと意識しすぎするために、自分に足枷をつけてしまい、結果空回りしているのだろうけれど、大竹 英洋さんのインタビューを読んでいると、そもそも、知る→覚えるという、ものごとの本質という点ではなく、情報としてのお取り扱いをしてしまい、間違った場所で試行錯誤していたことが、なんだか恥ずかしくなります。

 

www.hit-u.ac.jp

 

 「20年かけて書き上げた卒論」の意味がインタビューを読むと見えてくると思うのですが、自分が一生をかけると決めたテーマと20年の連れ添いはなかなかナカナカ、できることではないと思っています。

 

 このことと繋げて考えてしまうのが、最近お会いした方々のことです。創作を生業として長く活動をしている方たちのナカナカの刺激とエネルギー(これくらい私も踏ん張って後ろをついていきたいです)をぱああっとこれでもかと浴びました。自分は塵だか燃えカスだかになった気分でした。全然それでも良いくらいで、とても面白かったです。

 

 会話で面白いと思ったのは、体験を聞く、もしくは体験から広がった知見を伺えたことかもしれません。というのは、例えば仕事場でコピー機の使い方を教えてもらうことと、コピー機が動かなかったとき右側を一度叩くとまた動くようになる、という話を聞いたとしたら、この右側をたたく、という話からコピー機で苦労してるんだなぁなんてところから親しみが湧いたりするのはもちろん、その人が実際にコピー機を使った経験があってその上で扱い方教えてくれる人、という安心感もあるように思います。

 

 いまどきは、購入した製品で問い合わせが発生するとAIが対応ことも増えてきましたが、自分の質問とAIの回答がちぐはぐで求めていた回答を得られない状況になんだか釈然としない、締りの悪さを感じていました。しかし、いま考えてみると、体験者からのアドバイスや意見のありがたみ(価値というと分かりやすいかもですが価値という言葉にまとめたくない…)と比べてしまったら、それをAIに求めるのは現状難しいことなのかもしれません。

 

 言葉でなくても、対面となれば間合いで感じとることもあります。つい先日は、仕事で塩辛い出来事があったとき、そうした現状を上司にちょろっとこぼしたときに、上司が言葉で何かを言わずにはにかんだような表情をこちらに向けているのが、もうすこしの辛抱だ、と言っている顔にみえました。実際がどうかは分かりません。しかし、言葉が出てこない状況の方が、むしろよく考えてもらっているように思えて、ありがたかったです。

 

 これは思い付きですが、人が発信するものへの説得力で思い浮かべるとき、体験談や対面での会話、書籍がぱっと思い浮かびました。SNSが流通している昨今では書き言葉に触れる機会も増えてきましたが、流れる川のように、タイムラインで瞬間の言葉との出会いにハッとすることもあれば、流れ過ぎたるは川でなく海となる。考えごとと同じで、一瞬よぎったと思えば、その次の瞬間に新たな考えごとが浮かび、すると過去の考えはさっとどこかに行ってしまい、そうして転々としていく刹那的なものという印象が強く、ある瞬間に川で見たものを話題にしても、今はもう違うものになっているのが当たり前と思っていた方が、なんだか、発信する側も気負いがなくて済むと思ってしまう。思考のかけらが海のような大きい受け皿で、ゆられて、沈んで、深く潜ったところで長く生きている深海魚が書籍なのかな、どうかな。

 

 ブログでは、本を読んで感じた読書”体験”を書いているにしても、私がノースウッズに行ったのでもなければ、大した写真を撮ることもなく、読んで知った気になるのは甚だ体験違いで、読書感想文歴1年ちょっとが、どうしたら本を知ってもらえるかをずっと考えてるのを、著者のように20年続けていけるのか…。

 

 熱を絶やさずに今も現役を走っている方の体験に触れることが出来るのが、読書を面白くしています。本を読む前に事前情報を仕入れるのを好ましく思っていない方も多いと思いますが、想像を働かせたって分かりえない世界があることも確かで、今回の紹介する本が生まれるまでのいきさつをリンク先で知ってもらえたら嬉しいです。

 

 という長い前置きで今回は締めたいと思います。この本については次回か、もしくは雑記を挟んでその次で触れていこうと思います。次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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