おでん文庫の本棚

大人もこどももみんなで味わう児童文学をご紹介

ハンガリーで生まれた、かわいいこぶたの物語

 こんにちは!昨日、子どもの頃に何十回と読んでいた『らんま1/2』が無性に読みたくなり、電子書籍で途中まで大人買いしてしまいました。

 

 実家に帰れば漫画があるのですが、我慢できず…。電子書籍が終わりを迎えない限りは、いつでも手元で読めると思うと、喜ばしい時代の進化です。

 

 さて本日紹介するのは、ハンガリーで生まれた物語、

 バーリント・アーグネシュ 作 ブローディ・ベラ 絵 うちかわ かずみ 訳

 『こぶたのレーズン(MAZSOLA)』

 『こぶたのレーズンとおともだち』

 です。

 

 ちょっと脱線しますが、本を通じて遠い国と繋がれるというのが、いつもいいなあと思います。今回はハンガリーですね。

 

 好きな本と出会うと、最近は物語が生まれた国についても知っていきたいと思うようになり、直近ではスイスがそうなのですが、まずは国にまつわるエッセイ本などを探して読み始めて、そこに載っている出典元か紹介されている本を次に読んで、作家を知って…。と、繋がりを点から線にして、植物の成長みたいに、繋がりが枝葉のように広がっていくのが楽しみになっています。

 

 今回のハンガリーから生まれた物語についても、ハンガリーだと意識して読んだのは、おそらくこの『こぶたのレーズン』が初めてで、自分がこの本と出会ったように、誰かにとっても本との良い出会いが生まれると良いなと思いながら、今回も書いていきます。

 

 さてさて、物語に登場する主なキャラクターは、みどり色をしたこぶたのレーズンと、小人のマノーです。ある日突然、マノーの暮らすかぼちゃのおうちに現れたのがレーズンで、そこからふたりの暮らしが始まります。レーズンはまだまだ幼い子どもで、マノーが保護者的な立ち位置となりますので、大人が読むと、マノーがレーズンに対して、おおらかに接する姿というのが印象に残るかもしれません。

 

 本の構成は短編でまとめられており、『こぶたのレーズン』には小人のマノーとのはじめての出会いを含めた5話、『こぶたのレーズンとおともだち』は新しいお友達が登場して賑やかな物語が5話が収録されています。(訳者のあとがきを読むと、原作が3巻あるうちの第1巻の物語を今回2冊に分けて出版したしたそうで、いつか残りの物語も日本語で訳されてほしいです…!)

 

 日本での出版のために、表紙は作家さんが新たに書き下ろしたそうです。そのことを知ると、レーズンが手に風車を持っている姿に、なんだか親しみが湧いてきます。作家さんの日本への思いやりの気持ちも嬉しいです。

 

 こぶたのレーズンといえばまだまだ甘えん坊で、わがままを言ってしまったり、悪いことをしてしまったり、お手伝いを嫌がったり、日々いろいろな騒動が起こります。これを手の焼く子どもというのか、それでも読者の心はほっこりする、可愛くて愛おしい毎日が収められてます。

 

 そういえば海外の物語を読むときに、自分はその国の特徴がどこかに現れていないか探したくなることがあります。国民性でいえば、日本人であれば和を尊び、イギリス人はユーモアのある皮肉屋など、なんとなくのイメージを持っていて、ハンガリーというと、なんだろうなぁと思いながらこの本も読んでみたのですが、この本では、その中で描かれている子どもと保護者(大人)の関係性について、理想的な、模範にしたくなるところがありました。

 

 子どもとの接し方について、正直自分はあまり自信がありません。私自身、変に細かいところがあって、自分の行動をあれはダメ、これはダメと、ダメ出しすることが多々あります。そうして自分の行動に自信を持てない無いがために、知り合ったばかりの人に余計なことを言わないようにする、失敗しないようにする、という行動がそのまま自分の物差しになってしまって、相手を見る物差しも同時に厳しくなっているように思います(歳を重ねるごとに丸くなっていると思いますが…)。そんな窮屈な大人なので、子どもの素直さや、無邪気さにどういう感情で接して良いのか分からなくなりそうなのです。

 

 そうしたときに、この本で登場するマノーは、子どもという存在をよく知っていて、そしてよくレーズンのことを見ています。レーズンの様子に何か変わったことがあればレーズンが話しやすい場を作ろうとする優しさが伝わってきます。

 

 やるなあと思うのが、レーズンがなにかやらかした時に、マノーは相手に合わせて伝え方を考えているところです。日本では子どもが悪いことをすると「鬼が出てくるぞ」なんて、言ったりすることがありますが、そういう風に、ただ怒るだけとは違う伝え方があるのに気が付きます。

 

 自分の場合は、人に対して何か訂正しておきたいことが思い浮かぶと、気になって言いたくなるけどやかましくとられても嫌で黙って見過ごした方が良いのかどうか、自己問答をしてしまい、その後も引きずってしまうので、自分がこの本を当事者意識で読むと、2話分くらいで簡単に精神ポイントが燃え尽きているだろうと予想出来ます。自分が正しいと思うことを相手にぶつけたい意識の方がおそらく強くて、それは相手を思って言うべきかどうかという考えが足らないし、伝え方が分からなくて下手なのです。大人になっても完璧なんてあり得ないのに、子どもと関わるときに、子どもがやらかしたら、もっともらしい注意の言葉が頭に浮かんできそうで恐いです。

 

 子どものやらかしがあっても、優しい目線でしっかりと見つめるマノーがいるから、レーズンはのびのびと、失敗をしながらも、その中で大切なことを学んでいけているのだと思います。

 

 それに、マノーがレーズンとの暮らしを楽しんでいることも伝わってきて、そこがまた幸せな気持ちになります。誰かと関わることで得られるものが、困ったこともひっくるめたとしても、全体として楽しいと思えるマノーのおおらかさが、私はとても魅力に感じました。

 

 誰かといる時間、ちょっとでも、自分本位では無くて、相手のことを見る時間にしてみたいという心持ちで、今日はこれから友人との時間を過ごしてこようと思います。

 

 次回は読書の記事の前に、おそらくお知らせを挟むことになりそうです。またどうぞよろしくお願いします。