こんにちは!関東圏では明日にかけて台風が接近するようで、今日は嵐の前の静けさといった天気でした。明日は大きな被害もなく通り過ぎてくれることを祈るばかりです。
さてさて本日紹介するのはこちらの本です。
『鉄は魔法つかい 命と地球をはぐくむ「鉄」物語』
畠山 重篤 著 スギヤマ カナヨ 絵
この表紙やタイトル、いいですよね。化学の世界はどうにも…いや、化学に限らずですが分からないことは、ところてんのようにつるりと内容が入ってこなければ、そもそも入り口を前にして立ち往生をしてしまうような、そんな具合です。しかしこの本は、そんな途方に暮れている人にも優しく手を差し伸べてくれる、ワクワクするタイトルとイラストだと、そんな風に思います。先に内容をお話すると、ライオンキングの「サークル・オブ・ライフ」の歌にあるように、鉄が見えてくると、物事は部分で完結しているのではなくて命が繋がっていることを知り、森と海が連動し合っている関係であることが分かります。
日常の中で、「鉄」を成分(この言い方もあやふやであやしい)として、どんなものか意識をすることはあまりありませんでした。なにせ、物体としてのかたまりが目の前あると、ああこれは鉄アレイじゃないですか、と分かるのですが、このかたまりを構成している成分、と意識を変えてみると一変して、Feという科学記号の文字面がドドーンと頭に浮かんでそれで幕引き、何もそこから広がらずに、終わりなんですよね…。
そういえば、石原 さとみ主演のドラマ「アンナチュラル」で、鉄の話がちらっと出ていましたね。このドラマはときたま全話見直したりもして、何度見ても初めて見るときのような面白さを味わっています。主人公が所属する「不自然死究明研究所(UDIラボ)」では、依頼されたご遺体を解剖することで、その不自然死の死因を探っていきます。ある事件で、凶器となった包丁が何の素材で出来ているのかが重要な手がかりとなるはずが、包丁の素材というのは鉄で出来ている場合があり、また、体中を巡る血液も同様に鉄が含まれています。そうなると、ご遺体に凶器の鉄の成分が残っているかをどうかを探そうにも、血液の中では鉄が混ざってしまい、凶器の素材の特定は困難、といったやり取りがありました。人間の体の構成要素の中に鉄がある、ということをまだちょっと不思議に思いつつも、そうなのかと思うわけです。
血液と鉄…が頭の中でぐるぐるしていると、紹介する本の中で『赤毛のアン』が登場するのですがその際に、アンの髪の赤色=血液と同じ色=鉄!なんて早とちりをするわけで。どうして『赤毛のアン』で鉄の話で絡んでくるのか不思議に思いましたが、読んでいくとなるほどなるほど。鉄は赤い、そんなお話です。
この本を読むまでは、元素記号だったり、酸素と水素が結びついて水となるような化学変化を文字面で覚えている程度だったのが、読み終えてみれば、それらを存在しているものとしてみるようになってきた気がします。
ゆでたまごを何もつけずに食べる人もいれば、塩をかけたり、マヨネーズをつけたりと、人それぞれの好みがあります。好みの組み合わせで食べたい、と選り好み出来るのは人ならではということをこの本を読んで思いました。草食動物には植物を、と適切な組み合わせがあるわけです。それにこれが突然、今日から酸素を食べて生きていきます、なんて仙人みたいなことをしたいと思っても、体が生きていくのに必要な栄養が酸素では補えません。そんな風に、人の体に適切で必要な栄養があるように、動物、植物、大地、海、それぞれに必要とする栄養があります。そして、それぞれで受け持つ役割が次へ次へと繋がっていきます。
そこで思うのは、2つの点の間で完結しないことの方が実は多いのかも…ということです。
大げさに言えば、家が欲しい→お金を用意する、字が上手くなりたい→書く練習をする、だったりと、意識的な欲求には、その目的と行動の範囲にのみに集中すればよいという風にものごとをすっきりと考えたくなります。もしくは様々な問題ごとをAIに頼る、という風に解決方法をAIに集約しようとする考え方もあります。
本当は、その行程の中に、お金を用意するために仕事が必要だとか、字を書くために紙と鉛筆が必要だとか、こまごまとしたことがあるわけですが、当たり前に身の回りにあるもの、どうにか用意できるものをいちいち、それらが無い場合の世界線を考えるかというと、そうでもなかったりします…。
家で育てている植物が育つには、家の人が水や土を与えなければならず、自分のする・しないの判断で育つも枯れるも左右されます。自分はこの2つの間で完結しているものごとにどうも慣れ親しんでしまっている気がしています。山には木が当たり前にいると思ってしまっていたのが(もっと言うと、光合成と水と土があれば育つ、くらいの見方です)、実際はそこに住むみみずが土を掘って地面を柔らかくして水や栄養の巡りを良くしていたり、リスが木の実を地面に埋めることで新しい命に繋がったりと、さまざまな関わり合いが入り組むことで成り立っているのが、木、そして自然です。その自然の巡り(主に森と海)をこの本では化学を交えて触れています。
ただFeという成分がそこに存在するだけでは草食動物に肉を食べさせるのが無理なようにあるだけでは何も起こりません。他所からの関わり合いによって鉄が化学変化を起こすことで、新たに誕生した成分が次の命の栄養となっていきます。どうしてものごとをこんなに複雑にしたんだろう、なんて思ってしまう自分に残念ですが、気を付けようと思うのは、目の届くところだけでものごとを終わらせないことです。見えるところだけを見てしまい、AからDまであるうちのDだけを守ろうとして他をないがしろにしたとしたら、結果としてDがダメになってしまうという可能性が大いにあります。
森も海も大切にするもの、みたいな漠然とした良識に、自分は化学の目線でこの2つの間にどんな関係があるのかをちょっとだけ垣間見て、大切にというよりも、今まで人の手が入らずに成り立ってきた命の輪を無暗に崩さないようにした方がいい、と思うようになりました。
化学が全く分からなくてもこの本なら、大人も子どもも視野が広がる一冊になると思います。この本を読んだ後に『センス・オブ・ワンダー』で聞いたことがあるかもしれない生物学者レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んだのですが、今回紹介する本で多少の理解があったおかげで、生命の均衡について理解しやすかったです。現在おでん文庫の棚に置いている福岡 伸一さんの『せいめいのはなし』でも繋がるところがあるので、「サークル・オブ・ライフ」に興味のある方は、参考にしていただけたら嬉しいです。
ではでは、次回もどうぞよろしくお願いします。
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