おでん文庫の本棚

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親子でノースウッズ冒険のススメ

 こんにちは!なぜか今日は5時ごろに目が覚めて、猛烈に眠いです。早起きして一日中眠いか、遅く起きて時間が迫る中テキパキと用を終えるのどちらかよいか、2択を迫られたら後者を選んでしまいそう。

 

 さてさて本日紹介するのは、1度記事にもしたこちらの絵本です。

 

 『ノースウッズの森で』

 大竹 英洋 文・写真

 

 前回の記事はこちらです。大竹 英洋さんのインタビュー記事のリンクを貼っているのでよかったらご覧ください。

一生をかけるもの - おでん文庫の本棚

 

 インタビューでは、写真家になると決意してからの紆余曲折、そこから背中を押してくれるような出会いが繋がり、この絵本が誕生した経緯が書かれています。

 

 著者の写真を見て、何かを感じ取った編集者の方の目線というのは、どのようなものだったのでしょうか。ノースウッズという響きが、遥か遠くの景色を思い描かせ、人気のない森の奥の密やかで神秘的な世界扉を開く鍵を、子どもに握らせたいという願いが、心の中で広がったのでしょうか。こんなとき、知らない世界への扉の向こうへ、大人よりも子どもの方が素直に入っていけるのかな…なんて考えます。

 

 いや、大人を代表するかのように一括りにして話すのも思い違いが甚だしいですよね。個人事として、今回は絵本を知る前に著者の別の本を読んでいて、そうした下地があってから絵本を読んでいます。これが逆の順番で、絵本が初めての出会いだったら、表紙を見てうっかり(ひどいことに)、ノースウッズという場所には日本と同じような鹿がいるんだなと、自分の価値観に引き寄せて、もっと本質的なものを見逃してしまいそうです。

 

 Webで著者の記事を探しているとムースといったこれぞ海外、と思えるような動物の写真が出てくることもあります。日常から遠くへ気持ちが飛んでいくような新奇性があるものに、日ごろ目が行きがちなのだと悔しいほど気が付かされます。

 

 この絵本は表紙という看板に華やかさ、目新しさを持ってくるといった策略は毛頭も感じさせず、まるでそこで待っていたかのように茂みからポッと現れ、この森の奥へ誘っているようなふたつの黒い目が、まるで『不思議の国のアリス』の冒険の始まりのように、もう物語の扉は開きかけています。

 

 一方で、下地があればそれはそれで、まっすぐな目でこちらをみている写真を選んだ意図を、下地を頼りに想像を広げていく、そうした見方をしてしまうものだから、すーっと、表紙から次のページへ進んでいかれない。頭を使わないで只々感じ入るという状況は、初めて見知る刺激的な情報が頭を働かせる暇もなく畳みかけてくることでむしろ没入していくこともありますが、話を戻すと、下地に頼って読書をするのでなくて、あってもなくてもどちらでもいい、素直に目の前のものと向き合っていたい。

 

 一枚の写真の吸引力に素直に引き込まれて絵本を開く読者がいて、しかもそれは、著者がカメラのファインダー越しに何か感じ取りシャッターを切りたくなる瞬間の感情と、通じ合っているのかもしれません。そうした読者と著者に繋がりが生まれる瞬間を、私は遠巻きに眺める側に立ってしまっているように思て切なくもありますが、あえてそれでも、今回は下地となる本もオススメしましょう。なぜかといったら、著者の純真な気持ちに触れて、心が洗われるからです。

 

 その本というのは、著者がどうして写真家を目指してノースウッズにたどり着いたのかを知ることができる

 

 『そして、ぼくは旅に出た。 はじまりの森 ノースウッズ』

 

 です。

 

 この本を何をきっかけに知ったのかは忘れてしまったのですが、この本の表紙の写真を見て興味をひかれたのは確かです。旅というワードが好きというのもありますが、まるで自分も冒険している気分になりそうな目線で撮られた写真で、いいなあと思ったのです。

 

 対象の被写体がいても、いなくても、カメラと一体化した写真家に、写真を見ている人は乗り移ってしまうような感覚になるのが不思議です。写真に芸術的なものを感じてうっとりするような写真もありつつも、自然や動物のありのままを、飾らずにとらえていることに、写真家としての生き方のぶれない根っこがあるように感じます。それは、大人にも、子どもにも、何か感じるところがあるのではないかと思います。

 

 夏休みも近づいてきたので、親子でノースウッズの冒険を検討してみるのはいかがでしょうか。なんて。ではでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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