おでん文庫の本棚

大人もこどももみんなで味わう児童文学をご紹介

【雑記】窮地でも強くあれ

 こんにちは!ここ最近、もう夏の始まりと言ってもよさそうなお天気が続いていますね。先日珍しく父親から映画に誘われて観に行くかも、というがホラー映画で、体感温度がこのときばかりは下がって涼しくなりそうです。

 

 さてさて今回はおでん文庫の雑記になります。いろいろと、それこそひとつには括れない読書の面白さをひとつ挙げるのに、今読んでいるロビンソン・クルーソーでハッとしたことを書いていこうと思います。

 

 アタリマエに今あるものが、突然無くなったとき、もしくは変わってしまうとき、どんなことになるんだろう、と悪く考えればいくらでも悪く考えられそうなことを昔から思い浮かべることがあります。本当はなにかと安定していたいと思うのとは裏腹に、名前の画数が波乱万丈(でも悪運はあるという)の人生を予言していたせいなのか、その名の通りの起伏のある人生を送ってしまい、そのおかげで、あんまり自分の所在というか、どこかに留まっている姿が想像できずに、いつもどこか遠くへいきたい、と当てもなく、ぼんやりと思い浮かべることがありました。

 

 これ、ロビンソン・クルーソーの主人公が物語の冒頭で、まだ家族の保護下にもある安全で安寧だった頃に考え事をしている頭の中と似ているんですよね。イギリスで出版されたのが1719年とあり、もう300年近くも経っているのに共通点があるなんて。

 

 似ているといっても、どこか遠くへ行きたいという願望が同じだけで、ロビンソン・クルーソーの場合は、平凡で退屈な日常から抜け出して、燃える冒険心のままに行動をしたいという野心があり、私の人生に翻弄されているという感覚とはまたちょっと違うので、読んでいた時は共通点だとは気にも留めていませんでした。

 

 どちらかというと、物語を読み進めていった先、とうとう誰もいない島にたどり着いたロビンソン・クルーソーの孤独な闘い、そうだ、ここからが何もかも思うようにいかないことに苦しむターンだ…なんてことになったら、主人公に自分を重ねて共感し始めていたかもしれません。しかし、そうはならない。ロビンソン・クルーソーは野心を持ち合わせたエネルギッシュで想像力たくましい男なので、困難な状況を乗り越え、生活地盤を作っていく姿は、憧れを抱くほどです。

 

 主人公がひとりでどうにかしなければならない状況下でも、生きていることを喜んでいる姿があったとき、すごい人だなと思った程度で、もう次の文章に進みそうになり、というのも自分もそうあることを望んではいますが、自分とは考えが違うことに気が付きました。

 

これまでの人生で心から喜ぶことが無かったわけではもちろんなく、幸せもしくは平和の状況で、喜ぶことというのは、たくさんあります。そうではなくて、困難な状況の中でも喜びを見つけられるところが違います。運命に翻弄されたと思っているのは、主人公も自分も同じなのに、感情の持っていき方が全然違います。

 

 今がまさしく、手持ちの仕事とどう向き合うか考えていた最中で、今日も読んでいたこの本の主人公のことがふと頭に思い浮かんだのでした。

 

 このタイミングでこの本と出会っていなかったら、前に進む手がかりがないままだったので、偶然が面白いです。人との出会いや会話の中でも、そうした偶然がありますが、本も、昔は仕事関連といえば自己啓発を読むことが多かったのですが、最近はなんとなく手に取った本が、思いがけずよき出会いだったりすることがあるものですね。

 

 ではでは、次回もまたどうぞよろしくお願いします。

 

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一生をかけるもの

 こんにちは!いつもブログの本文を書いてから、ここの挨拶を書いているのですが、今回の記事も紹介する本の前置きのような内容になりましたので先にお伝えです。最近は時差を考えるようになり、記事が1回きりではなくて、1週間の時間を置いてまた触れてみるのもいいのかなと。いつも試行錯誤です。

 

 さてさて今回紹介するのは、前回に続き写真家の本になります。

 

 『ノースウッズの森で』

 大竹 英洋 文・写真

 

 本を読むとき、目に留まった言葉を忘れないように、これまではスマホで写真を撮っていたのを、最近は手帳に書き移す方法へ移行するようになりました。すると、写真で撮るよりも書き留めておきたいことが次から次へと出てくる。同じページに、いくつもメモする文章が出てくるとなると、読み進めるにもいちいちくじいてしまっている。

 

 写真では時が経つにつれフォルダ内で埋もれてゆき、撮ったことを忘れてしまうため、という以上の特段の理由はなかったのですが、いざ書き始めると、言葉を自分の中に取り込もうと、手を動かすことで文字の書き方を覚えるように、動作で文字をモノにしようという働きかけが、多分、起きています。食事を、まるで掃除機みたいにがつがつと吸い込んで食べてしまうのと、メモを取るのがなんだか似ている、と思いながら。どうにも抗えない現象と化しています。

 

 覚えるのが苦手だと意識しすぎするために、自分に足枷をつけてしまい、結果空回りしているのだろうけれど、大竹 英洋さんのインタビューを読んでいると、そもそも、知る→覚えるという、ものごとの本質という点ではなく、情報としてのお取り扱いをしてしまい、間違った場所で試行錯誤していたことが、なんだか恥ずかしくなります。

 

www.hit-u.ac.jp

 

 「20年かけて書き上げた卒論」の意味がインタビューを読むと見えてくると思うのですが、自分が一生をかけると決めたテーマと20年の連れ添いはなかなかナカナカ、できることではないと思っています。

 

 このことと繋げて考えてしまうのが、最近お会いした方々のことです。創作を生業として長く活動をしている方たちのナカナカの刺激とエネルギー(これくらい私も踏ん張って後ろをついていきたいです)をぱああっとこれでもかと浴びました。自分は塵だか燃えカスだかになった気分でした。全然それでも良いくらいで、とても面白かったです。

 

 会話で面白いと思ったのは、体験を聞く、もしくは体験から広がった知見を伺えたことかもしれません。というのは、例えば仕事場でコピー機の使い方を教えてもらうことと、コピー機が動かなかったとき右側を一度叩くとまた動くようになる、という話を聞いたとしたら、この右側をたたく、という話からコピー機で苦労してるんだなぁなんてところから親しみが湧いたりするのはもちろん、その人が実際にコピー機を使った経験があってその上で扱い方教えてくれる人、という安心感もあるように思います。

 

 いまどきは、購入した製品で問い合わせが発生するとAIが対応することも増えてきましたが、自分の質問とAIの回答がちぐはぐで求めていた回答を得られない状況になんだか釈然としない、締りの悪さを感じていました。しかし、いま考えてみると、体験者からのアドバイスや意見のありがたみ(価値というと分かりやすいかもですが価値という言葉にまとめたくない…)と比べてしまったら、それをAIに求めるのは現状難しいことなのかもしれません。

 

 言葉でなくても、対面となれば間合いで感じとることもあります。つい先日は、仕事で塩辛い出来事があったとき、そうした現状を上司にちょろっとこぼしたときに、上司が言葉で何かを言わずにはにかんだような表情をこちらに向けているのが、もうすこしの辛抱だ、と言っている顔にみえました。実際がどうかは分かりません。しかし、言葉が出てこない状況の方が、むしろよく考えてもらっているように思えて、ありがたかったです。

 

 これは思い付きですが、人が発信するものへの説得力で思い浮かべるとき、体験談や対面での会話、書籍がぱっと思い浮かびました。SNSが流通している昨今では書き言葉に触れる機会も増えてきましたが、流れる川のように、タイムラインで瞬間の言葉との出会いにハッとすることもあれば、流れ過ぎたるは川でなく海となる。考えごとと同じで、一瞬よぎったと思えば、その次の瞬間に新たな考えごとが浮かび、すると過去の考えはさっとどこかに行ってしまい、そうして転々としていく刹那的なものという印象が強く、ある瞬間に川で見たものを話題にしても、今はもう違うものになっているのが当たり前と思っていた方が、なんだか、発信する側も気負いがなくて済むと思ってしまう。思考のかけらが海のような大きい受け皿で、ゆられて、沈んで、深く潜ったところで長く生きている深海魚が書籍なのかな、どうかな。

 

 ブログでは、本を読んで感じた読書”体験”を書いているにしても、私がノースウッズに行ったのでもなければ、大した写真を撮ることもなく、読んで知った気になるのは甚だ体験違いで、読書感想文歴1年ちょっとが、どうしたら本を知ってもらえるかをずっと考えてるのを、著者のように20年続けていけるのか…。

 

 熱を絶やさずに今も現役を走っている方の体験に触れることが出来るのが、読書を面白くしています。本を読む前に事前情報を仕入れるのを好ましく思っていない方も多いと思いますが、想像を働かせたって分かりえない世界があることも確かで、今回の紹介する本が生まれるまでのいきさつをリンク先で知ってもらえたら嬉しいです。

 

 という長い前置きで今回は締めたいと思います。この本については次回か、もしくは雑記を挟んでその次で触れていこうと思います。次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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今、大人が絵本を読む

  

 こんにちは!今朝は児童書『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』が天海 祐希さんが主演で実写映画化するニュースがありましたね。天海 祐希さんの凛とした佇まいが銭天堂の店主・紅子にぴったりだと思いました。

 

 近所の本屋さんでは、学校の七不思議やおばけの本があるコーナーで子どもが本を眺めているのをよく見かけるので、そうした背筋がゾクゾクする物語は今も昔も怖いもの見たさで人気なのでしょうか。自分の子ども時代と現代の子どもたちの変わりなさに、なんだか懐かしい思い出が重なり、当時に流行ったトイレの花子さんの本を探そうとしたら、やたらめったら実写の怖い画像ばかり出てきたので懐かしい気持ちは早々に散ってうやむやになりました。いやはや、銭天堂はビジュアルでそうしたショックが少なくて心臓にやさしいですね。

 

 それにしても、心臓がどきどきと打つ体験というのは体に悪い、この体に悪いというフレーズを昔どこかで聞いたような気がするのですが(そしてなぜかおじさんが言っているイメージ)、何か悪いことが起こるのではと予感する胸騒ぎや、テストの合否や手術の結果を待っている場面など、この先がどうなるのか分からない状況から未来を想像したとき、心臓がどきどきしていませんか。期待と不安がない混ぜになり、感情や思考が揺れに揺れ、落ち着かないとき。こんなどきどきは早く収まってほしいと願うはず。(明るい未来に期待しすぎてどきどきしているなら、違う意味で、ちょっと落ち着けと周りに言われる場合もあるかも?)

 

 しかし、このどきどきは、毎日食べているお菓子を今日から急にすっぱり止めるのが難しいのと同じく、いざその場でどきどきを止めると決め込んだところで、そうですかと止まらないのが身体の働きです。想像も身体の働きと似ていて、自分の意思ではどうにも出来ずに、思考や感情と仲良くつるんで、走り出したら止まらない15のバイクの夜さながらの疾走を続けてしまいます。

 

 走ってからじゃもう止められないのなら、想像の源泉はどこからやってくるのかと突き詰めようと考えたとき、以前もお話した飯テロ写真を見たときに意図せずして気持ちがそちらへ向かうように、本を読んだとき、テレビを見たとき、人と話しているとき、風景を見たとき、SNSを見たとき、さまざまな自分の外側との接触の中で生まれてくるのかなと思います。自分の外側にある情報に触れたとき、頭の回路がパソコンの立ち上げのごとく、ウィーンと動き始めます。そう考えると、想像、もしくは考えごとは思っている以上に頭の中で絶え間なく動き続けているようです。それでは、どきどきする機会も多く巡ってくるというものです。

 

 とはいえ、なかなか落ち着く暇もないですよね。自分は本を読み終えたときに、しっとりとその読後感にひたる、無の時間が訪れるのが好きなのですが、その数分後にご飯を作る準備をしなきゃと現実に引き戻されたとたんに、まずは、野菜を切って、お湯を沸かして…と次から次へと考えごとが頭の中を駆け巡ります。

 

 そうして日々さまざまな情報に触れて、どきどきしたり考えごとをしたりする時間が、知らず知らずに積もり積もって、感情や思考が大波小波で揺らぎ落ち着く暇がない、その上、その不確かな状況はなんとかしたいと葛藤する思考が続いていく、そんな頭が重くなりそうな状態が常態化してしまっている(ようなことが10代20代で多かったのを思い出してきました…)。

 

 ここでやっと絵本の話です。絵本で描かれていることを考えたときに、昔の絵本は、登場人物が一皮むけたような体験を通過するのが印象に残っているのに対して、新刊の絵本には、自分を構成している大事な部分を描いている、もしくは、今のままの自分を受け入れる内容など、外の情報との接触から何かが起こる、というよりも肯定的に自分の一本の道を進み遂げたり、作者が見ている視野をより感じる印象があります。

 

 ゆっくりと、足を踏み外さないようしっかりと地面を踏みしめているような、北風が吹く向かい風に向かっていく作者が思い浮かびます。展開も、情報量が詰め込まれているのではなく、静かな短い言葉がゆったりと続き、情報化社会で疲れた頭にやさしく染み入るのではないかと思います。

 

 それが今の新刊絵本の要素全てではもちろんないと思いますが、今の時代だからこそ生まれる絵本には、今の時代を生きる人だからこそ分かり合えるものになっているのだろうと、考えました。

 

 また、絵本が子どもだけでなく、大人の読みものとして広まっているのも、新刊絵本を読むと理由が分かるように思います。

 

 というのを、棚を借りている南と華堂(なんとかどう)の店主さんが企画する、大人が絵本読んでもらう会や新刊絵本を紹介してもらう中で、そうした考えがどんどん膨らんでいきました。店主さんが大人のための絵本のようで、と話していたのは、実際そう言って絵本を知ってもらう方がぴったりなのかもしれないなんて思いましたポソリ。

 

 自分の棚では古い本の紹介が多いので、今の風を感じたい方はぜひ南と華堂さんで、店主さんに新刊のおすすめを伺ってみてください。山のようにご紹介いただけますよ!ではでは、次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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著者と動物の距離感

 こんにちは!5月もいよいよ締めくくりですね。道ではポンポンと鮮やかなアジサイを見かけるようになりました。そして、アイスクリームが食べたくなる季節にもなってきました。爽の冷凍みかん(この名前だったか怪しいですが、とにかくオレンジの味)が好きで、また食べたいな~。

 

 さて本日も前々回の記事から紹介している、こちらの本について書きます。今回でラストです。

 

 『北国からの手紙―キタキツネが教えてくれたこと』

 井上 浩輝 著

 

 前回は、本を通してその人の生き方に触れることについて書きました。今回はいよいよ被写体となっている動物について綴っていきます。

 

 本書の写真に登場するのは北海道に住む、人に飼い慣らされていない野生の動物たちです。動物たちの住処が人の暮らしからほど遠い場所となると、もはや未知の世界と言いたいです。これまで人の気配がない場所に足を踏み入れる機会も無ければ、野生動物との接触体験で挙げられるのは、子どもの頃にタヌキとモグラを見かけたくらいで、あとは周りでイノシシやコウモリが出た話を聞いても、へ~と絵空事を聞いているような実感の無さ。『不思議の国のアリス』でアリスがうさぎと出会いますが、そのくらい暮らしと自然が密接していたら、ファンタジーと思う領域が変わっていたかもしれません。

 

 実際、自然の中より人が暮らす場所で遭遇する動物の方が多いです。それこそペットとして猫や犬を飼ったり、道で散歩をしている人を見かけたりしますが、ゴールデンレトリバーのような大型の犬とすれ違っても、噛みつかれる、怖い、と恐怖を感じて避ける程のことはあまり有りません。頭の片隅には一応、もしかしたら急に牙をむいてくる可能性も想像しますが、自分にはあまり現実感が無く…。これが場合によっては、動物の本性を知らずに怖い思いをすることも。

 

 『ミス・ビアンカシリーズ 1 くらやみ城の冒険』に登場する、ねずみのビアンカは、ずっと人に飼われていたため、猫の怖さを知りませんでした。猫がねずみを食べる習性があることを知らず、人が飼っていた猫と仲良く暮らしていた経験から、猫はいいやつだと思い込み、ひとつ事件が起こってしまいます。猫の習性を知っているねずみからしたら大変な恐いもの知らずですよね。これは大げさな例かもしれませんが、想像よりも野生の世界は自分の暮らからは遠く離れていて、人と動物の世界を行き来するのは容易くないことを、本書を読み進めていくうちに知ることになります。

 

 著者はまるで、人の心があるような表情豊かな(特にエゾリスはチャーミングです)動物の写真を撮ります。そうした表情は、笑った顔をしたように見える柴犬が懐っこそうに見えるのと同じく、野生であることをころりと忘れてしまいます。

 

 大自然の中でケモノのケモノとしての生き方を写真で撮る方が、そこで写真を撮る理由も内容も筋道が通っていると思いそうですが、ケモノ対人間の構図で起こってしまう隔たりを写真で感じさせないのは、裏にどんな努力があったのか、本書に書いてある内容がとても深いです。

 

 ふと思い出したのですが『ぴくぴく仙太郎』という漫画をご存じの方はいるでしょうか。紹介文で、独身男がうさぎを買うのは危険だと警告しているのが、ちょっと面白いですが、うさぎとの暮らしが面白おかしく、ときにはほっこりと描かれています。

 

 うさぎの仙太郎が足をばしばしと地面にたたきつけて自己主張しているシーンなどを見ると、寡黙な生き物と思っていたうさぎにも、行動で感情を表現していることがあるのだと知りました。そうした仙太郎のボディーランゲージで、主人公は仙太郎の行動や感情を読み取っていくのですが、そうして人の方から動物の感情を読み、動物に歩み寄り、心を通わていく姿は、紹介している本の著者と重なりました。

 

 ここからは蛇足となりますが、こうした野生の世界を知った際に、自分は動物のことをよく知らずに絵に描いてしまっているなと悩みました。特に、擬人化について。著者がまるで擬人化したような動物の写真を撮れたのは理由があって、なんだか著者の域にたどり着かないのに、絵でカバにスカートをはかせたりする(極端な表現ですが…)のが全くしっくりせず、ずっと、動物を擬人化することについて考えていました。

 

 それからしばらくは、擬人化せずに、動物は鏡であるかのように、自分の思惑がそのまま、動物のまっすぐな瞳から反射して映し出されている。つまり動物自体は無垢な存在で、描いている自分が動物に対して何かを決めつけずに、見る人次第で受け止め方が変わる、そうした捉え方で絵を描いていました。

 

 思い煮詰まって、最近はどうして擬人化をするのかを考えながら擬人化を描いてみたりもして、この間、深夜のふやけた頭で鳥を描いたときに、なんだかそこに人の暮らしに重なる情景が浮かび、気が付いたらピアノを台にしてクリームソーダをストローで飲む思いふけった鳥嬢が出来上がっていました。スカートも履いています。鳥を鳥として描くのではなく、鳥っぽい別の生き物、現実にはいない存在として割り切り、容姿もデフォルメを利かせたら、その独自の世界観が広がって頭の中で物語が浮かびそうでした。

 

 まだうまく答えの出ない問答ですが、動物を描くことについて立ち止まるきっかけとなった、それくらい、本来の動物の姿とは何かと考えさせられたのでした。著者のように、動物と向き合っていく中で、答えを出していきたいです。そして自分の良くないところとしては考えることが大半なので、もう少し実際に動物に会いに行こうと思います。

 

 ではでは、次回は別の本の話か、雑記を挟もうと思います。またどうぞよろしくお願いします。

 

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誰かの人生を読むことについて

 こんにちは!やることがいろいろ散らかると、机の上も散らかるもので、今周りが紙にまみれています。このブログを書き終えたら片づけなければ。

 

 さて本日は前回の記事に続いて、こちらの本を紹介します。前回の記事はこちら↓

考えるよりも先にくるもの - おでん文庫の本棚

 

 『北国からの手紙―キタキツネが教えてくれたこと』

 井上 浩輝 著

 

 前回の記事では、写真と対峙したときのお話をしました。飯テロ写真をみて突如としてお腹の虫が目覚めたときのような反射速度で、思考を差し置いて、感覚がなにかを捉えて反応している、傍からみても頭の中も沈黙の時間が訪れることがあります。こんなとき、どんな言葉が適切なのか考えてみますが、感慨にふける、感傷に浸る、といった黙考の時間を、頭の中を真っ白にして、ただ目の前のものと対峙している時間、う~ん語彙力が乏しくてうなり声しか出てきません。

 

 そういえば、こうしてブログに紹介している推しの本が売れて、さようならをすることになっても辛くないのか、といった質問をいただく機会がありました。潔いことを言うなら、我が家の本棚でほこりを被るよりも、本を読んでもらえる機会に繋がる方がよかろうと思っています。箱入り娘を旅立たせると、別れの寂しさよりも、その後にもたらされるお土産の方が実際嬉しいです。

 

 本棚の在り方について、福田 伸一さんの『せいめいのはなし』で内田 樹さんが語られていた内容に、自分もわずかばかり似た性質を感じ取ったのですが、ではいづれ手元にある本たちはどうするかというと、もしお似合いの人が現れたらあげたくなっちゃいますね。本を見て顔が思い浮かぶのは自分の勝手で、相手は迷惑千万の可能性もあるので、そこは推し活の難しいところですが…。ブログは、そういう意味ではのびのびと推し活できてありがたいです。

 

 それではさてさて本題です。本日紹介する本については、写真家になるまでのサクセスストーリー、そして動物との向き合い方の2つに注目しよう思います。

 

 ちなみに写真家という職業のイメージは、まだスマホで写真を撮るのが当たり前になるよりも以前は漠然と、高級なカメラを携えて高尚な芸術を追い求める(ちょっと気難しい)芸術家と思っていましたが、みなさんはどのようなイメージをお持ちでしょうか写真家の方の、レンズを通して対象となる人物の内面を描き出す、といったような言葉を聞いてもピンと来ず、写真を見たときの感じ方を意識しすぎて、自分の感性が乏しいのだなと思うこともありました。

 

 これは後になって、対象とする写真の被写体、もしくはその媒体など、その要素を取り巻く世界に足を踏み入れて少しづつその環境に馴染んでいくと、分かってくることがあるのだなと思うようになりましたが、例えばSNSで日本語で発信されている情報と、知らない言語で書かれた情報とどちらに目がいくかといえば日本語となるように、自分を取り巻く環境に近い、もしくは親近感を覚えるものがあるほど目がいきますし、理解しやすいです。

 

 そうなると、自然や動物という題材には、あまり年齢の制限もなく、幅広い層にも受け入れられやすい面があるように思います。尚且つ、この本で舞台となるのが北海道となると、関東住まいの自分にとっては、まだ知らない北海道への好奇心が加わります。余談ですが、北海道出身の作家さんが表現する動物や自然の描き方は、なんだか魅力があるのですよね。北海道に対する羨望や興味のフィルターが自分にはちょっとあります。

 

 そうして無理のない流れで動物や自然を被写体とした写真家の方に惹かれていったのかもしれません。後にも取り上げる予定の写真家の大竹 英洋さんについても、今回の井上 浩輝さんについても、写真家になることを決意してから写真家の一歩を踏み出すまでを書かれた本を読みました。井上 浩輝さんは今回紹介している本がそれに当たります。

 

 ではこの本を写真家を目指している人におすすめしたいのか、と聞かれたら、いやもっと、どんな人が読んでも思うところのある本だと思います。

 

 そう思うのも、自分は遠回りに費やした膨大な時間があり、覚悟が決められなかった分岐点をそれなりに抱えてしまっていて、それと比べて著者の覚悟を決めてからまっすぐの道を行くことを貫いた姿勢は、なかなか出来ることではないと分かるからです。

 

 成人をしてから将来の夢(職業)を決めてそこを目指すことってナカナカ難しくありませんか。日経WOMANなどを読んでいると、例えば資格取得や、設立した企業が波に乗るなど、きつい山を越えた人たちが多くいることを知りますが、それでいてつい、すごいなぁという一言で締めくくってしまうことがあります。ほんとはそんなに薄っぺらな感想に収まらないことのはずなのに。

 

 何かを成している人が、例えば身近にいたらどうでしょう。身近にいる人ほど、その人の山あり谷ありを知り、山の上にたどり着いた際には拍手を送りたくなるものじゃないかと思います。山の上の景色を眺めながら、そこにたどり着くまでの道のりを振り返ったときに、いろんな思いが駆け巡るように思います。山を登ることを目指してから頂上に着くまでの時間の濃度が、本の中には詰まっています。

 

 ここには物語とは違った、筋書の無い人生が広がっているので、それこそ山ばかりではなく、谷、谷、谷、が続くこともあります。自伝などを読んでいると、現実の方が厳しいと気が付きます。打開しがたい困難や悲しみに自分の方が打ちのめされてしまうこともありました。成功の裏の谷、ダークサイドに落ちずにいられた人たちの心の強さを見習いたい、と奮い立たされて自分は今に至っています。

 

 今回紹介する本は、谷底にもひとすじの光のような救が現れるので、読んでいてホッとします。それでも苦労は人知れずなはずで、それでも前を向く姿勢を貫く著者の人となりがあればこそなのだと思います。写真だけではなく読み物としても、それこそ大人になる前の人たちへも、おすすめしたい一冊です。

 

 ではでは次回もこの本について、もう少し書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

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考えるよりも先にくるもの

 こんにちは!昨日久しぶりにハンバーグを作ったのですが、生地がゆるくなってしまい、4つの楕円形をまとめてひとつのフライパンで焼いていたのが、ゆるゆると変形し、四葉のクローバーのような形になりました。見栄えは悪しですが、幸せの形なら良しとしました。こじつけです。

 

 さてさて、本日紹介するのはこちらの本です。

 

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 『北国からの手紙―キタキツネが教えてくれたこと』

 井上 浩輝 著

 

 おでん文庫の本棚で、今回のテーマ”自然科学ことはじめ”になぞらえて特にお勧めしたいのが、写真家の井上 浩輝さん、大竹 英洋さんです。

 

 写真は今や、撮ることも、見ることも、携帯やSNSの普及によって身近なものとなりました。そんな昨今、個人が写真を撮る機会というのは一日、一週間、一か月でどのくらいあるものでしょうか。

 

 私は写真を撮るというと、記録として活用することが多いように思います。読んだ本の気になったページをメモとして(あまり人に言える話ではないですね…)、はたまた蝶や鳥なども道端で見かけると後で調べるために写真を撮っています。しかし後者は、カメラの用意が間に合わなかったり、ファインダーに収まらなかったりと手ごわく、失敗に終わることが当たり前です…。そういえば先日、本棚を借りている南と華堂さんの最寄り駅である南平駅で、出口の階段を降りたところにつばめの巣を発見しました。鳥の鳴き声がとても近くに聞こえたので、おや、と見上げた先につばめの巣と、巣にふっくりと収まるつばめの姿がありました。これがカメラを構えようとモタモタしている間に巣はもぬけの殻となっていました。5月頭のことなので、今ならまだ出会えるチャンスがあるかもしれません。

 

 そのような具合で、写真を見せるものとして撮ることが少なく、どちらかというと写真は見る側で、Web上や雑誌・本などを介して、それこそ写真を見ない日は無いといってよさそうです。記録だったり、何かを伝えようとしたり、表現を追求したりと、目的も千差万別ではないかと思います。それでは、日々目に触れている写真の中でも、どんなものに、視線がちょっとでも留まるでしょうか。

 

 例えば、『紅の豚』を見たときには、飛行機雲の写真にいつもより目が向きました。5月は、東京タワーとこいのぼりの写真を見ると、今年もこの季節が来たなと思いました。これが、この東京タワーとこいのぼりの組み合わせが恒例であることを知らなかったり、『紅の豚』を見たことが無ければ、写真を見たときに思うことは、また違ったものになったと思います。ただ、自分の体験や経験と結びつくような被写体をとらえた写真と出会ったその瞬間は、少しばかり印象が心に落ちて残ります。

 

 これとは逆に、まったく気にも留めていないのに、写真によって気持ちが引っ張られるということも然り。”飯テロ”と呼ばれる美味しそうな食事の写真を見ると、よほどの満腹状態でもなければ、空きっ腹がウズウズし始めます。何の気もないところに突然、心が引き寄せられる写真が現れると、自分との関連がどうとかかんとかなんて前置きなど頭からすっぽんと飛んでいき、ただただ目の前の写真に見とれている時間が流れます。

 

 おそらくこれは、写真に限らず当てはまることだと思います。本屋さんでなんともなしに手に取ってみた本の冒頭数行を読んでその中身を読みたくなったりと(その後、これはなんだと作者の名前や表紙のデザインやなんやをドキドキしながら確認するような)、目に飛び込んだものが、思考する時間を超えてギュンと迫ってくるような、言葉の無い瞬間に出会うことがあります。こうした出会いで、知った写真家のひとりが今回紹介する本の著者である、井上 浩輝さんです。

 

 百聞は一見に如かずと言いますが、公式のHPのリンクを貼るので一度ご覧いただけたら嬉しいです。

hirokiinoue.com

 

 本は読んでいく行程の中に思考や感情が動きまわり、そのものに何か感想を抱くにはいくらか時間を要するところを、写真は目の前にした瞬間に心が動く機会がひとつあるので、本のように説明に言葉を割くよりも、まずは、見てほしいなと思ってしまいます。

 

 この瞬間というのは、雑貨屋さんで棚に並んだ作品たちを眺めているときに、ひとめでビビッとくる作品と出会うときとも似ていますね。今回の記事で、あんまり本のことを書いてしまうと、なんだか写真との出会いの喜びを半減させてしまうような気がするので、本については次回の記事に続こうと思います。

 

 それでは次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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【おでん文庫】5~8月のテーマ ”自然科学ことはじめ"

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 こんにちは!GWはみなさんいかがお過ごしでしたでしょうか。気が付くとあっという間に終わっていたような。お休みは終わりましたが、いきなり頑張りすぎずに、ゆっくりまいりましょう。

 

 さてさて先週末におでん文庫の本棚の中身を入れ替えました。

 

 5~8月のテーマは

 自然科学ことはじめ

 です。

 

 自然科学という言葉になぞらえた選書かというと、そうとも言い難く、自然界のなりたちをしっかり学ぼうという意気込みのある方からしたら拍子抜けしてしまうかもしれません。しかし、学びから何かを得ようとする行程のひとつ前の段階を考えてみてください。例えば、先日人形劇を見に行った際に、子どもたちが人形をお土産に買っていく姿をみました。これは、子どもたちが人形劇に触れて、きっと心がときめいて、人形にも興味が広がっていったのだと思いますが、そのように、何かに目が向くきっかけというのがまずはある様に思います。

 

 なので、実際に自分が読んで心がときめいた、そして自然科学に広がっていきそうな面白い本たちをご紹介していきます。それと、児童文学や子どもとの関わりについて書かれた本を2冊、テーマからは離れてしまいますが、おでん文庫の活動の軸となる部分なので、しばらく置いておこうと思います。

 

【本リスト】 ※5/5時点

  • 『北国からの手紙―キタキツネが教えてくれたこと』
  • 『ノースウッズの森で』
  • 『せいめいのれきし』
  • ドリトル先生アフリカゆき』
  • ドリトル先生航海記』
  • 『せいめいのはなし』
  • 『仕掛絵本図鑑 動物の見ている世界』
  • 海底二万海里
  • 『鉄は魔法つかい』
  • 『アフリカの音』
  • 『ハイジ』
  • 『バッグをザックに持ち替えて』
  • シェルパのポルパ エベレストにのぼる』
  • 『きんいろのとき』
  • 『庭をつくろう!』
  • 『改訂版 宇宙授業』
  • 『あさですよ よるですよ』
  • 『風にいろをつけたひとだれ』
  • 火山はめざめる
  • 『あんちゃんのたんぼ』
  • 地震と火山の島国 極北アイスランドで考えたこと』
  • 『漁火 海の学校』
  • 『14ひきのアトリエから いわむらかずおエッセイ集』
  • 『幼い子の文学』
  • 『今ここに生きる子ども 気分は小学生 百石小学校四年竹組留学記』

 

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 『北国からの手紙―キタキツネが教えてくれたこと』

 井上 浩輝 著

 ↓記事はこちら

考えるよりも先にくるもの - おでん文庫の本棚

誰かの人生を読むことについて - おでん文庫の本棚

著者と動物の距離感 - おでん文庫の本棚

 著者の公式サイト↓

【公式サイト】写真家 井上浩輝 Hiroki Inoue official website

 

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 『ノースウッズの森で』

 大竹 英洋 文・写真

www.fukuinkan.co.jp

 

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 『せいめいのれきし』 

 バージニア・リー・バートン 文・絵 いしいももこ 訳 

 

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 ドリトル先生アフリカゆき』

 ヒュー・ロフティング 作 井伏 鱒二 訳

 

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 ドリトル先生航海記』

 ヒュー・ロフティング 著  福岡 伸一 訳

www.shinchosha.co.jp

 

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 『せいめいのはなし』
 福岡 伸一 著

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 『仕掛絵本図鑑 動物の見ている世界』

 ギヨーム・デュプラ 著 渡辺 滋人 訳

 

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 海底二万海里

 ジュール・ベルヌ 作 清水 正和 訳 アルフォンス・ド・ヌヴィル 画

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 『鉄は魔法つかい』

 畠山 重篤 著 スギヤマ カナヨ 絵

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 『アフリカの音』

 沢田 としき 作・絵

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 『ハイジ』

 J・シュピーリ 作 矢川 澄子 訳 パウル・ハイ 画

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 『バッグをザックに持ち替えて』

 唯川 恵 著

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 『シェルパのポルパ エベレストにのぼる』

 石川 直樹 文 梨木 羊 絵

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エベレストとシェルパ 絵本からみえる世界 - おでん文庫の本棚

 

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 『きんいろのとき』

 アルビン・トレッセルト 文 ロジャー・デュボアザン 絵 江國 香織 訳

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秋から冬へ 色のおくりもの - おでん文庫の本棚

 

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 『庭をつくろう!』

 ゲルダ・ミューラー 作 ふしみ みさを 訳

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 『改訂版 宇宙授業』

 中川 人司 著

 

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 『あさですよ よるですよ』

 かこ さとし 作

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 『風にいろをつけたひとだれ』

 岸田 衿子 著

 『火山はめざめる』

 はぎわら ふぐ 作 早川 由紀夫 監修

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火山の活動がわかる絵本 - おでん文庫の本棚

 

 『あんちゃんのたんぼ』

 梅田 俊作 作

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弟と兄のかけがえのない日々 - おでん文庫の本棚

 

 『地震と火山の島国 極北アイスランドで考えたこと』

 島村 英紀 著

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初読みから時間を経て再読へ - おでん文庫の本棚

 

 『漁火 海の学校』

 梅田 俊作 作・絵

 

 『14ひきのアトリエから いわむらかずおエッセイ集』

 いわむら かずお 文・画

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  『幼い子の文学』

 瀬田 貞二 著

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翻訳で大切なことを勘違いしていたお話 - おでん文庫の本棚

児童文学の扉を開くなら - おでん文庫の本棚

 

 『今ここに生きる子ども 気分は小学生 百石小学校四年竹組留学記』

  斎藤 次郎 著

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棚を借りている【南と華堂(なんとかどう)】さんの公式サイト↓

peraichi.com

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 そして、現在棚に置いている本にはもれなくおでん文庫のしおりがついてきます。厚い紙に印刷されていて丈夫なつくりとなっています。読書のおともにどうぞご活用ください。

 

 

 それでは、次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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