おでん文庫の本棚

大人もこどももみんなで味わう児童文学をご紹介

【雑記】100回目の更新ですがいつもと変わらない話

 こんにちは!先週から今週にかけてなんだかアッという間ですね。今日は日差しがあって風も涼しく気持ちの良い初夏、といった具合で、こんな日がしばらく続いてほしいです。

 

 さてさて、このブログの記事が今回の投稿で100本目を迎えました!そこで今回の記事はと、それこそ先週の更新時に100の数字に触れてから今現在に至るまで、100の節目にふさわしい特別なことを書けたらと考えてきました。昨年の春くらいから毎週更新することを決めて、たとえコロナでダウンしたときも、あとは…忙しかったときも書くことをやめずに……いや、案外のど元過ぎればですね…。

 

 とにかく何を書くかを頭の端でずっと考えておりましたが、タイミングも悪かったかもしれません。GWで気分が浮足立つこの時期に、外へも出ずにパソコンに向かって、白い画面をなんとか文字で埋めていくという、ちょっと途方に暮れるような行為を、いろんな誘惑が邪魔してきます。

 

 もう内容を特別にすることは諦めて、100回目の節目らしく、何かこれからの目標やこれまでの振り返りなどがあってもよいのかなとも思ったのですが、周りのいろんなものごとが時を待たずして進んでいくので、結局これまで通り、現在、心に止まっているものごとを箇条書きで書き留めていくことにします。

 

 ①『ミス・ビアンカシリーズ 1 くらやみ城の冒険』が面白いです

 

 ディズニーのアニメを子どもの頃にみていたので、ちいさなネズミが自然界で起こる動物たちのトラブルを大冒険して解決!みたいな物語かと思い違いしていたのを、本を読み終えてから悔みました。もっと早く本を読みたかったです。翻訳をした渡辺 茂男さんが、登場するビアンカは長年連れ添った恋人と語られているのですが、それでいうと私は。バーナードを初めて見たときにビアンカと同じように心がときめきました。ビアンカという女性(メス?)が主人公となりますが、女性ならではの心の繊細さ、それでいて勇気も知恵も品格もあり、GW中に続巻を読みたいです。

 

 ②Youtubeで本関係の語り話を聞くのが面白いです

 

 まだそんなにたくさんのチャンネルを知らないのですが、自分の好きな本を語っている姿を端から見ているとほんとうに楽しそうです。そうすると、読みたくなってくるのですよね。紹介していて気になった本をGW中に読みたいと思っています。

 

 ③ガラパゴス諸島のイグアナから思い出したこと

 

 以前、名前を存じている写真家の方が撮ったイグアナの写真を、サーフィン関係の雑誌か何かに掲載されいるのをたまたま見かけて、それがどうしてか神々しく、目が離せなかったことがありました。そこから時を経て、最近本でガラパゴス諸島の話題が上がっているのを機にガラパゴス諸島のドキュメンタリー映像を見ました。そこでみたイグアナから、以前に見た写真の神々しいイグアナを思い出しました。写真のイグアナがガラパゴス諸島のイグアナと同じは分からないのですが、なんだかものごとが繋がったように感じました。

 

 ④なぜ本を読むのかについて考えています

 

 ②番で本語りのことについて触れましたが、自分にとっては、本の情報を人と対面して聞くのは別として、耳から仕入れるというのは新鮮な気分です。最近では本を音声で聞くという手段がありますね。忙しいときに本を読む時間をつくるのは大変だったり、文字を読むと目が疲れるなど体調にも関わってくるので、音声という手段は、本に触れる機会を広げるという良い面があると思います。そこから、改めて考えさせられるのが、なぜ本を読むのかということ。そこには、読書に伴う苦労に意味があるのではないかと思っています。

 

 ⑤チェコが気になっています

 

 チェコのお婆さん』という、チェコの生活や文化を織り交ぜながら、お婆さんとその家族、孫、ご近所さんの恋模様、などなど、『サザエさん』が日曜夕方のテレビ枠でお茶の間をあたためてきているように、段々とチェコのおばあさんたちの家族団らんとした雰囲気に親しみがわいてきて、読み終えるのがさみしくなってきました。ほかにもチェコの本を借りて、この世界観にもう少し浸っていたい、そんな気分です。

 

 ⑥書こうと思っていたことがひらめいたのにすぐ忘れました…

 

 ということで、今回はこのあたりで締めたいと思います。次回はおでん文庫の5~8月の本棚の本紹介となるはずです。また次回もどうぞよろしくお願いします。そして皆様、どうぞよいGWを!

 

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【おでん文庫】5~8月の本棚テーマの話

 こんにちは!GWがいよいよ始まりますね。浮足立つこの時期が好きです。やりきれないタスクをたくさん並べ連ねて夢を描くこの時期が好きです。

 

 そして、おでん文庫の本棚では、1~4月のテーマだった【おうちの本棚】も終わりに近づいています。本棚に置いている本、そして本棚を借りている南と華堂(なんとかどう)さんの情報は以下の記事からご確認いただけます。これから行楽シーズンの始まるGW、お店に足を運んでいただけたら嬉しいです。

【おでん文庫】1~4月のテーマ ”おうちの本棚" - おでん文庫の本棚

 

 今置いている本たちは、昨年の毎月のテーマに沿った本から選び抜いた本があり、それぞれが読み終えたあとに新たな読書の方向性を示していたように思います。

 

 例えばハリネズミの願い』は少し前に著者の新刊が本屋さんに並んでいるのを見かけましたが、ここからアニメーション作家のユーリ・ノルシュテインの映像を見ることに繋がり、『あんちゃんのたんぼ』から同じ著者の『海の学校』を読むことに繋がり、海に対しての意識が上がってきたところで、次回の本棚テーマに繋がっていきます。

 

 5~8月の本棚テーマは【自然科学ことはじめ】です。

 

 当初は児童文学と自然科学を結び付けた本というのがあまり、どちらかというと、夢見心地になるような物語を追いかけていたのですが、たぶんアイスランドの島の成り立ちを知るようになった頃から、そのつながりで火山に興味がひらけて、そこから宇宙、生命、科学に関わる本を読み始めるようになりました。

 

 きちんと初歩的な知識をつけられる本から歩みを進める、というよりも、要所要所にちょっと顔出しするようなかたちで興味の湧いた本たちを揃える予定です。

 

 学校で勉強したはずの知識をすっかり落とした頭でも、読みやすい、面白い、と思った本たちなので、安心して読めるのではないかと思っています。

 

 また、自然科学の知識が詰まった本を置くのが目的ではなく、自然環境の中を舞台とした物語も置く予定です。ふと、月を眺めてみたり、土を踏みしめてその感触を思い出したり、日常の中で気に留めてみる景色や感覚がちょっとでも広がったのはこの本たちとの出会いだったので、そうやって自然科学を身近に感じることから、始められたらと思います。

 

 本の入れ替えは5月の最初の週末に行う予定です。ブログの更新は、次回が100記事目を迎えるので、記念として何かそれらしい記事を書こうか悩み中です(それらしい記事って何だろう)。ではでは次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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【雑記】5月に向けて、そしてこの先の話

 こんにちは!先日購入した秋田のお米が好みのおいしさで、お米をよく食べていたら体重計にお米の分がズンとのっかりました。おなかのお肉を落とすよい方法がありましたら誰か教えてください…。

 

 そろそろ4月の終わりに近づいてきたこともあり、来月から始める5~9月のテーマの本を何にするか決めなければなぁというのが頭の片隅にありながら過ごしています。

 

 今年の本棚は時期が来たらパキッと別の本にまるまる入れ変える、というよりも季節の模様替えのようにクッションカバーの柄を冬から春仕様に、花瓶に春の花を挿す、しかし大きい家具のテーブルやソファ、ランプはそのまま…と、部屋の佇まいは残しながら変化を楽しむ、という方針でやって行こうと思っています。

 

 今年のこの方針を試行してからは、まだ4か月と言えますが、妄想ではもう来年の方針が頭の中に浮かび始めています。想像では先の未来を描くのに、現実では時間が経つのを惜しむことが多くて不思議なものです。来年までに今できることを考えたら、今やることがパンパンのパン。みなさんもやりたいことがいろいろ出てきたりするでしょうか。

 

 最近読んだ福岡 伸一さんの『せいめいのはなし』、この中に出てくる動的平衡という身体の仕組みが衝撃的で、自分は、人の身体は絶えず変わり続ける、と聞いても進化と退化といった対照的なベクトルが、人の一生を範囲とした長い時間軸の端と端の間で緩やかなかまぼこのような曲線を描いているイメージを持っていました。それを、かまぼこ曲線を立体的にして、薄く何ミリかでスライスしいったとき、今日と昨日、一週間後のかまぼこの大きさはあまり変わっていないように見えます。しかし、確かにわずかでも変化している。日常では一日一日の変化を意識することはほとんどないのですが、変わり続けていることが当たり前にある。むしろ、かまぼこの全体像で今日という日がおざなりになりそうなら、毎日かまぼこはスライスされて都度生まれ変われる、みたいな考え方をしていられたら、かまぼこを想像しているほんのわずかな時間、変わる勇気をもらうような気持ちが湧いてくるなぁなんて思いました。

 

 おでん文庫でやりたいことはいろいろあるのですが、ひとつに海外の本を扱いたい、というのがあります。そこで障壁となる語学…独学でやっているので勉強のやり方から試行錯誤しては落ち込むことが多かったのですが、最近ちょっとずつ学び方が開けてきたような気がしています。語学学習にAIの活用法というのも見聞きして試しにやってみようと思っていたのですが、AIにさえモジモジして言葉を投げかけられず。再チャレンジせねば。

 

 おでん文庫の来月の本棚にドリトル先生シリーズの本を置く予定で、久しぶりに井伏 鱒二さん訳のドリトル先生の本を読んでいる(といっても1作目を読んだことがあり今2作目を読んでいるという具合です)のですが、この日本語の言葉の運びにいちいちウットリしています。それがどこから醸されているのか、突き詰めるまで至っていないのですが、日本語で書かれた本、とも思えそうな言葉の運び。そんなところを楽しんでいると、やはり原文も知りたくなります。

 

 いつか、原文と翻訳の味わいも届けられたらいいなあと妄想しながら、語学の勉強も頑張ります。日進月歩の意気込みで。

 

 ではでは、次回は5月からの本棚のテーマ紹介となるかもです。どうぞよろしくお願いします。

 

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緑のこぶたから刺繍へそしてハンガリーに目を向ける

 こんにちは!急ですが、手作りっていいですよね。絵を描くのも楽しいのですが、手を動かして作るという行為自体が楽しいと思っているところがあります。ご飯を作るのも自分にとっては日々の楽しみです。ご飯を作る時間を作るのは大変ですが、毎日何かを作ってる実感に気持ちが支えられている気がします。

 

 さてさて本日紹介をするのは、ハンガリーの刺繍の本です。

 

 ハンガリーのかわいい刺しゅう』
 チャルカ(CHARKHA) 著

 

 こちらの本はこぶたのレーズンの生まれ故郷となるハンガリーに関連しておでん文庫の棚に置いています。

 

ハンガリーで生まれた、かわいいこぶたの物語 - おでん文庫の本棚

 

 こぶたのレーズンというのはこちらの緑色をしたこぶたのことです(ありがたいこと現在は二冊とも人の手に渡り完売となっています)。

 

 今年はおでん本棚に置く本を児童文学の範囲に留めず、例えば児童文学が誕生した国がどんなところなのだろうと興味を広げたときに、手に取りやすそうな本を置いています。私自身が一冊の本を読んでそこから派生して次に手を伸ばした本、尚且つ途中で投げ出さずに読み終えた本、がちょっとずつ線で繋がり広がっていったその途上ともいえそうです。

 

 同じ作者の別の著作を読むことは自然と行えるのですが、一冊の本から次に繋げていく読み方は、自分の場合根気と熱意がいる(読みたい本がとっ散らかっている上に気分屋のため)ので、周辺情報を知るために読もうと思っても、歴史関係は国同士の関係性や時代の背景が掴めずにだいぶ苦労しています。本棚にシリア関連の本を置いていますが、情勢や歴史など一度本で読みましたが、おさらいが必要です…。

 

 ハンガリーについても、民話に関する講座を受けたことがありましたが、テンションの上がるきっかけをつかみ損ねてしまったことを今更ながら反省しています。興味が湧く瞬間は確かにあり、しかし点で得た情報を立体的に広げて想像できるほど、他に使える手札を持っていませんでした。

 

 そんなだからこそ、なにか自分の好きなことと関連付けて本を読めるのはラッキーなことだと思います。今回は紹介する刺繍の本がハンガリーの入り口となってくれています。

 

 実際の刺繍、いつか見てみたいものです。余談ですが刺繍でいうと最近、親戚のおばさんからミモザなどの春を感じる刺繍をしたポーチをもらいました。手芸が上手なことは前から聞いており、編み物でつくった小物をもらったことはありましたが刺繍は初めてで、しかもこれまで刺繍で見知ってきたものと違う、生命力のようなエネルギーが自分にぶつかってくるような感じがあり、作った人が見えてくるいい刺繍だなあと思ったのでした。

 

 ハンガリーでは人の営みと刺繍は共にあり、古くから縫い継がれてきたものです。昔は誰かに想いを伝える手段としても使われていた刺繍、そんないじらしさが現代ではまばゆく映るかもしれません。

 

 と、なんだか知った風に書いていますが、刺繍の柄に込められた意味をこの本を読んでいた当時は、あまり気にかけていませんでした。目で楽しむのが第一で、文章にはあまり目を向けていませんでした。大柄な花と鳥の取り合わせ、鮮やかな配色、そうした記号的なものの見方をして、知ろうとしていました。

 

 しかし、いろいろな本を読むうちに、ヨーロッパやアフリカなど大陸が繋がっている国の歴史を知っていくと、ひとつの民族が国境によって無理やり分断されていることや、他国からの侵略で母国語が衰退もしくは混ざり合って変化していくことがあったのを知り、国民性という自分にとって分かりやすい括りで外側を見ようとしていたのを、国境線をにじませて、土地柄という目線で見ようとする流れに自然となってきました。

 

 日本でも土地柄の名産品があると思います。パッと思いつくのは小千谷縮芭蕉布など着物の生地の種類なのですが、そうした土地柄のものは、他では作られない貴重な存在でありそこに魅力があります。これをうっかり希少価値=値段が高いと、ついお金に価値を置き換えてそれで知ることを終わらせたり、先程話したようなうっかり見たものを記号化⇒アーカイブ化しようとして、そのものが土地で生まれた背景や人の生活どのように関わってきたのか、そうした暮らしに関わる部分を抜け落としてしまったのを、今にして考え方を改めるようになってきました。

 

 こうした考えの変化をネタバレすると最近読んでいる本の『民藝の機微 美の生まれるところ』の影響も多です(それを言ってしまうと、この記事で知るという言葉を連発するのが、あまりいただけないのですが…)。

 

 いろいろな経緯を辿り今になって思うと、今回紹介する刺繍の本は、ハンガリーの地域毎に発展した刺繍の特徴を紹介しており、そうした紹介とともに見る刺繍は、その地域への思いも膨らむように思います。刺繍の図案も掲載されていますので、縫うのが好きな方も楽しめる様になっています。もしくはハンガリーに興味がある!とズバリぴったりな方がいらっしゃったら本をお手に取ってみていただけたら嬉しいです。

 

 ではでは次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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【雑記】繰り返していく中で

 こんにちは!本日の記事は、旦那さんが買ってくれたカルディのホットチョコレートをかき混ぜながら書くことを考えていました。ありがとう旦那さん!おかげでやる気アップして早く書けました。

 

 さてさて、3月は自分のお仕事経験を生かしたサークルを発足して何回か活動をしていたのですが、企画する側にまわってみて気が付くことや悩むことがいくつか出てきている状況です。例えばその中のひとつに、参加者がどうやって自分で気づきを得るか、ということがありました。なんだか大げさに、そして偉そうに聞こえてしまったら全くそのようなつもりはなく、とても小さいことも含めています。

 

 例えば絵を描くときに、資料を見ると人のプロポーションは大体何頭身か目安が載っていますが、それを実際に鉛筆を使って頭身を計ってみると、資料通りにはいかなかたりします。人によって頭身が違うという発見が、資料にある内容の規格外となってしまい戸惑うのか、目の前のものを更に観察してみようという前のめりな気持ちになるのか(と2方向を提示していますが、不安が大きくなることの方のが多いと思います)。

 

 料理も同じことが起こるように思いまます。野菜の大きさに個体差があるため、一般的なジャガイモ、ニンジンのサイズはどのくらいを想定しているのか気になることがあります。たまに北海道の野菜がスーパーに並ぶのを見ると、いつものと大きさが違うんですよね。そうして自分の基準がぐらつくことがあります。

 

 絵を描くことも料理をすることも、手を動かして実践していく中で、ちょっとずつ、まあこんなもんかな、という自分の中での検討をひとまず付けていくのですが、心のどこかでは”これはこうするのだ”ドーン!と基本がきっちり線引きして決まっていたら、曖昧さを持ち続けずに済んで楽だろうなあと、それにモヤモヤ期間から脱出できるなら早い方が良い。

 

 そうなってくると、何かを初めて挑戦する場合は、はやくに線路が引かれた安全なレールの上を走ることを求めたくなるし、そうした気持ちは自然に起こるのではないかと思います。

 

 となると、ある程度型にはまったこと(規格外の状態が出来たら少ないこと)を繰り返し練習することの意味というのが、ここで少しわかってきます。

 

 その行為の中には実は、野菜を切る厚み、フライパンで焼く時間など、細部に心配りをしようと思えばできそうなポイントがあり、繰り返し反復している中で、ちょっとずつ目配りできる余裕が生まれて、そうした発見から新しい挑戦が生まれてくるような気がしています。

 

 自分などは、今回のサークルで初心を思い出させてもらったのをきっかけに、例えば人の絵を描くときに、自分の体を触ってどんなものか確かめるようになりました。そうして触った感覚を生々しく意識すると、なんだか描くときのかたちの取り方がより注意深くなります。また、線一本も大事な一本と目標を決めて描いたり、上手くやろうとするよりも自分の楽しみ方と細部への目配りをなるべく意識するようにし始めました。

 

 と、こんなことを最近になって考えるようになっていますが、本来は何度も繰り返すという行為がとても苦手でした。学生時代にファミレスでアルバイトをしていたときに、同じことの繰り返しが単調に感じて無関心に時間を過ごしていたことがありました…。あるとき、美味しんぼの漫画で立ち食いそば屋さんのことが書かれていた回が目に入り、うどんを提供される側は同じ品質と味が当たり前でも、提供する側にとってはその当たり前を毎日続けているのってすごいことなのだなと思ったのがずっと忘れずにいたのですが、最近読んでいる『民藝の機微 美の生まれるところ』松井 健 著の本で、そのときの気持ちを思い出しました。

 

 本の中では、民藝の職人と芸術家が突き詰めていく方向を対比して説明している箇所があるのですが、自分はその話を読んだときに、民藝として昔から今に至り作られ続けているものの中にある大事なものを、職人は手を使って繰り返し形にしていく中で見つけていくということを発見しました。

 

 そういえば、海外の人が日本の茶筒の蓋がぴったりと収まることに感激した話を聞いて、日常扱うのものの品質が良くて当たり前で見慣れてしまっていましたが、そこに繊細な心配りと技術あることに気が付かされました。

 

 児童文学でも、古典とよばれる半世紀以上も語り継がれる物語がありますが、長く残ってきたものには、洗練されたところがきっとあるのだろうと思います。いろんな本を読んで、もっと読書に対する繊細さを身に付けて気が付いていきたいところです。

 

 最後はざっくりした感想で恐れ入ります。この記事を書いているうちに無性に目の前にある本を読みたくなってきてしまいました。ではでは次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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初読みから時間を経て再読へ

 こんにちは!ばったばったのここ最近なのですが、本が読めてブログの記事が書けて嬉しいです。小さい歩みですが、ブログの記事がもうすぐ100本を迎えるので引き続き踏ん張っていこうと思います。

 

 さてさて本日紹介をするのはこちらの本です。アイスランドに興味が膨らむきっかけとなったお気に入りの一冊です。

 

 『地震と火山の島国 極北アイスランドで考えたこと』

 島村 英紀 著

 

 アイスランドというと、アイスランドのことを初めてSNSで投稿したときに、アイルランドと打ち間違えたことが思い出されます…。アイスランドと言い出したきっかけとなったのは『Ástarsaga úr fjöllunum』(邦題『女トロルと8人の子どもたち<アイスランドの巨石ばなし>』)という絵本からでした。

アイスランドの想像が膨らむトロルの物語 - おでん文庫の本棚

 

 当時はアイスランドという国のことを知る機会がなかったため、この絵本で描かれているアイスランドの自然風景をみたときに、雪が降り積もった山は想定内でしたが、緑のじゅうたんが広がっている風景が目に入ったときに、自分の思い違いにハッとなったものでした。

 

 アイスランドについて知らないことばかりだったのが、今では(ちゃっかりと)いつか行ってみたい場所のひとつとなっています。人類が月へ初めての到達を目指していたころ、月に降り立つときの予行演習の場として選ばれたアイスランド。硬貨には海の生き物が描かれ、地表にひょっこり現れた地球の割れ目があり、間欠泉、滝、温泉、火山と共に暮らす人々。

 

 本のタイトルから想像していた自然科学の厳つい内容ではなく、人々の生活に著者が入り込んでその様子をスケッチしているおかげで、アイスランドという土地の特徴とそこにからめた人々の暮らしが想像しやすくなっています。火山、温泉など日本と共通点を比較して書かれていることも理解の助けになっています。

 

 そして嬉しいことに、本の中で触れていたバトナ氷河の下にある火山の噴火について調べてみようと検索をしたら著者のHPを発見しました(更に後になって本にHPのアドレスが書かれていることに気が付きました)。本に収録されていない写真が多数掲載されていてありがたいです。

島村英紀の ホームページ

 

 しかし今回、おでん文庫の本棚にこの本を置くということで久しぶりに読み直しをしたのですが、前回ほんとにこの本を読んでいたのかと疑うくらい、記憶に残っていたのがほんの一部の内容のみで、今になって内容が頭に入ってくる箇所がいくつかありました。

 

 この何かと何かが繋がる感覚、本を読む機会が増えていくと共に感じることが増えてきた気がします。それがどうしたかというと、言葉から想像を働かせようとするようになってきた気がするのです。

 

 例えば少し前は、地球の直径がおおよそ1万2千キロメートルで、円周がおおよそ4万キロメートルなんて言葉が出てきても、言葉をつらでしか見れなかったのですが、少し前に宇宙に関する本を読んでいて、地上から百万キロを超えたら宇宙とみなされることや、地球から月の距離(忘れた…)など、距離に関するさまざまな数字が並べられてしかもとてつもない規模にロマンを感じながら読んでいたら、少しずつ距離を想像して認識しようとする気になってきました。

 

 火山についても、『火山はすごい』の本を読んだときには、専門用語を覚えることを諦めてただ楽しく読んでいたのですが、その後に『地震と火山の島国』を読むと、前回は分からなかった火山の噴火のときの溶岩や灰がもたらす被害の深刻さを文字から広げて想像していました。

 

 また、繋がるとは思ってもみなかったデンマークに関する本を思い出すきっかけもありました。

 

 この繋がりというのが、球がピン、ピン、ピンとはじかれて壁にぶつかりながら転がっていくときのようなちいさい衝撃をもたらして、目がぱっと開かれるようなイメージです。

 

 自分のことを知っている人なら分かるかもしれませんが、物覚えがあんまり得意ではなく、通り過ぎれば漠然とした記憶にしか残らず、本を読んでいる割に書いてあることの説明は出来ないわで、傍からみたら「なんでそれで本を読んでいるの?」と尋ねたくなりそうな状態なんですよね。

 

 そういうモヤモヤを抱えていたのが、最近ちょっと考え方が変わってきた気がします。『せいめいのはなし』の本を読んだのも、変化をもたらしたきっかけのひとつなんだろうなあと思いますが、点としては存在しているが動かない球たちをピンッと動かせるとよいのだなと感覚的にですが思い始めました。このことについては、どこかのタイミングで丁寧に記事にできたらなあと思います。

 

 読んだ本がどこでどう繋がるのかは読んでみないと分からないので、まずは興味を持つことが出来て、自分が読みたいと思える本を手に取ることが大事に思います。また専門的な本へ絞り過ぎずに手に取るのもよいかもしれません。アイスランドの本、宮沢賢治グスコーブドリの伝記の火山、火山専門の本、浅間山の絵本など、それぞれの本からまた興味が広がるので、尽きない楽しさが続いてくれます。

 

 補足となりますが、今回紹介している本を出版をしているのは、児童文学を読むのにお世話になっている岩波書店です。”岩波ジュニア新書”という、小中学生から大人世代まで、幅広く読める入門新書を出しているのだそうです。今回の本が読みやすく内容も充実しているので、他の本もこちらを頼りに探してみたいです。

岩波ジュニア新書 - 岩波書店

 

 おでん文庫の1~4月の本棚テーマ”おうちの本棚”も気が付けばあと1か月となりました。残りの期間も引き続き、どうぞよろしくお願いします。

 

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【雑記】理解しようと意気込まない

 こんにちは!最近、読みたい本を本棚から引き抜いて机のまわりに並べ始めてよくない状態になっています、読みたい本を1冊に絞るのが難しく、そういうときは図書館で借りた本だと返却日が近い順に手を付けていくことになるので、強制的に読み順が決められるので助かります。返却日が近い分厚い本を読むターンになると、朝も早起きになります。図書館は本を借りるだけでなく生活を整えてくれる存在になりつつあります。

 

 さてさて本日記事で書こうと思っていたことが、直近で読み終えた生物学者・作家である福岡 伸一さんの本『せいめいのはなし』の濃厚さにヤラれて、ぼやけてしまいました。福岡さんはドリトル先生シリーズの新訳も手掛けていると後から知り、素敵なインタビュー記事を発見したのでリンクを貼っておきます。

www.tjapan.jp

 

 さてさて『せいめいのはなし』に書かれていることに思わぬ発見がいくつもあり、なんて面白いんだと感動していました。そこで旦那さんとの会話で本の内容と接点がありそうなことがあれば「ところでこの話といえば最近読んでいる『せいめいのはなし』っていう本でね…」と話題を本の方へ持っていこうと試みるのですが、いざ話そうとすると、細胞の説明が全く上手にできません。どうしようもなくはがゆいです。(海外の映画で、過去の時代にタイムスリップしてしまった男性が、言葉の通じない女性を前にして自分の思いを伝えられない状況に、ぽつりと「はがゆいな…」という風なことを呟いたのを思い出してしまいました。それにしても、あのとき状況が読めずキョトンとしていた女性はかわいかったな)

 

 学校の授業で分からないことや解けない問題に出くわしたとき、この目の前の内容を理解できていないとはっきりと自覚して、立ち止まってしまうことがよくありました。目の前の問題が解けないと次の問題に移ることができず、家でひとりで数学の勉強をするのは骨が折れた記憶があります。それでもなんとか正解にたどり着くことができれば、一問クリアーということで、そこから次へと進むことができます。

 

 それが本を読むときでは、少し行動が異なるような気がしています。本の内容を正しく理解することを心掛けて読もうとすると勉強と同じで、例えば火山を題にしたらマグマの温度はいくつなのか、日本で最後に噴火したのはいつでどの山か、有名な火山写真家は誰か、といった情報を意識して拾おうとします。しかし、数字や情報だけならまだ悩みは小さいかもしれません。もしこれがマグマが噴火する経緯をきちんと理解・説明しよう考えると、本の中で答え探しになり、見つけた答えに自信が持てなければ先に読み進めようという気も起らなくなっていくように思います。

 

 理解するというのはきっともっと気の遠くなるような話で、例えば火山の本1冊から、発せられるガスの成分を記号的に覚えることができたとしても、その成分がどんなものかを知らなければ、そのものを十分に理解したとは言い難いです。なので今度は成分について調べる本を読もう…という具合に、理解するには興味のあるSNSのアカウントをどんどん下へスクロールをするように、どんどん物事を掘り下げて、情報を集めていく行為が必要になるのではないかと思います。

 

 ただ、もう一方の読み方として、作者が「火山はすごい」と語るその理由に自分の感情が乗っかり、火山へのまなざしが熱くなっていくことがあります。専門的な話だとしても分かりやすく説明されているのも大いに助けとなっていると思います。それでもきちんと理解できているかは大変怪しいですが、読んでいるその瞬間は不思議と分かった気になっていて、つい楽しくなって、ページが次へ次へと進んでいきます。関心が最後まで続いていった結果、本が読み終わって満たされたような気持ちがあり、そこからさらに詳しい本を読んでみたい、と次にも繋がっていく可能性も大いにあります。

 

 たとえその面白さを自分の感覚でしか認識できていなくても、ひとまずはそれで良しです。読書の楽しさは内容をきちっと理解しようしたり人に伝えようとするのは二の次で、心が目覚めるような本と出会い読む楽しさをかみしめる、そういうひっそりとしたところで盛り上がっているのが大切に思います。

 

 そして、内容の説明は難しいけど感想であれば、よくよく自分の気持ちを見つめていたら何かしら出てくるはずです。『せいめいのはなし』は対談形式で書かれているのですが、同じテーマで話していても、著者と対談者それぞれ話の視点は異なります。月に浮かぶシルエットがカニに見える人、うさぎに見える人がいるように、同じものを見ていても見え方が異なります。そうした個人個人のフィルターを通して見えてくる世界が、内容の難しさを補って、気持ちを惹きつけるのではないかと思いました。

 

 今回の読書で自分の視点を持って分かりやすい言葉を紡げるようになりたいなと、そんな気持ちも芽生えつつ、ではでは次回もどうぞよろしくお願いします。

 

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